パンは、朝ごはんによく食べるものですよね。どうしてブレッドではなく、「パン」なのか。
これはポルトガル語の「パン」pãn から来ているんだそうです。ポルトガル語のパンは、ラテン語の「パニス」panis が語源なんだそうです。
そういえばフランス語でも「パン」painですし、イタリア語でも、「パネ」pane ですからね。
今のパンに近いものが誕生したのは、古代エジプトなんだそうです。
小麦を粉にして、練って。ところがある時、偶然に、それをすぐには焼かずにほおっておいた。しばらく経って焼くと、ふんわりしたパンになったと、伝えられています。つまり「発酵パン」ですね。
この発酵パンは、古代エジプトから古代ギリシアへ、古代ギリシアからさらに、古代ロオマへともたらされたという。
古代エジプトで発酵パンが生まれたのは、紀元前4000年頃のことだと考えられています。
「此焼飯の名をばぱんといふなり、ぱん一ツにてくひたらぬにや、給仕の配膳の時は………」
大田南畝が、1820年頃に完成させた随筆集『一話一言』にそのように出ています。
大田南畝は「ぱん」と書いていますが、たぶん今日のパンのことかと思われます。当時、大田南畝が、長崎のオランダ屋敷で「パン」を見たのは、間違いないでしょう。
うーん、パンが「焼飯」に思えたんでしょうか。
パンが出てくる紀行文に、『陽気なクラウン・オフィス・ロウ』があります。これは1980年に、作家の庄野潤三が英国を旅した時の記録。
1980年に、なぜ庄野潤三はイギリスに旅したのか、敬愛するチャールズ・ラムの足跡を訪ねるために。
「薄切りのよく焼いた三角のトーストがうまい。バターの上に苺ジャムを附けて、三枚食べる。」5月17日のところに、そんなふうに書いています。
庄野潤三の『陽気なクラウン・オフィス・ロウ』を読んでおりますと、こんな描写も出てきます。
「少し行くと紳士物の傘、替上着、ワイシャツなどの店があって、鳥打帽で格子柄のいいのがある。」
その店は、「ダン」Dunn という名前だったとも書いています。
「鳥打帽」。英語なら、「ハンティング」でしょうか。
どなたかウインドウ・ペインのハンティングを作って頂けませんでしょうか。