ヴィクトリアとヴァン・ダイク

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ヴィクトリアは、人の名前にもありますよね。
もっとも広く識られているヴィクトリアは、ヴィクトリア女王でしょうか。十九世紀の英国王。
ロンドンに行きますと、いろんな所でヴィクトリアに出会います。たとえば、「ヴィクトリアン・アンド・アルバート博物館」だとか。ヴィクトリア女王とアルバート公とを記念しての博物館なので。あるいはまた、「ヴィクトリア・ステイション」だとか。
ヴィクトリアは、自動車の名前にもあります。後部座席の覆いが畳み込めるオープン型の自動車のことを、「ヴィクトリア」。これは十九世紀に流行った四輪馬車の名前にはじまっているんだそうですね。
ヴィクトリア女王とアルバート公とのご長男が、後のエドワード七世。エドワード七のお孫様が、後のウインザー公という順序になります。
ヴィクトリア女王が崩御されたのは、1901年1月22日のこと。八十一歳でありました。ヴィクトリア女王は1819年5月22日のお生まれですから、長寿と言って良いのではないでしょうか。逝去の場所は、ワイト島で。ワイト島には、英国王室の別邸があったので。「オズボーン・ハウス」であります。
ここでの逝去に立ち合ったのが、当時ドイツ皇帝であったヴィルヘルム二世。ヴィクトリア女王にとっての初孫でもありましたから。その時、ヴィルヘルム二世はこのように呟いたと伝えられています。

「彼女は実に傑出した女性だった。何人も彼女が有したようなパワーなど持ち合わせてはいなかった。」

ヴィクトリア女王の国葬は、1901年2月2日に行われました。主に、ロンドンのハイド・パークで。このハイド・パークでのヴィクトリア女王の国葬を見た日本人に、夏目漱石がいます。ちょうどロンドン留学中だったので。

「通路ニ至ルニ到底見ルベカラズ宿の主人余ヲ肩車ニ載セテ呉レタリ漸クニシテ行列ノ胸以上ヲ見ル、柩ハ白に赤ヲ以テ掩ハレタリ」

明治三十四年二月二日の『日記』に、夏目漱石はそのように書いています。その日は土曜日だったとも。漱石は宿の主人とふたりでハイド・パークに。あまりに人が多いので、宿の主人は漱石を肩車に載せてくれたのでしょう。

ヴィクトリアが出てくる小説に、『ウルフ・ソレント』があります。英国の作家、ジョン・クーパー・ポウイスが、1929年に発表した物語。

「遊歩道に立つヴィクトリア女王即位五十周年記念時計搭。」

ロンドンでの光景ですから、それが出てくるのは、当然のことでしょう。また、『ウルフ・ソレント』には、こんな描写も出てきます。

「その鬚は、明るい茶色で、きちんと整った、尖端のとがったヴァン・ダイクの鬚であった。」

ここでの「ヴァン・ダイク」は、独特の顎鬚のこと。ほぼ正三角形にも想える鬚。英国の絵師、アントニイ・ヴァン・ダイクが好んだので、その名前があります。
どなたかヴァン・ダイク鬚にも似合いそうなスーツを仕立てて頂けませんでしょうか。

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