ヴァンセンヌは、フランスの森の名前ですよね。
vinsennes と書いて「ヴァンセンヌ」と訓みます。
ヴァンセンヌはパリ東部、ヴァンセンヌ市に。ヴァンセンヌは広い森で、この中には、ヴァンセンヌ城があります。
そもそものヴァンセンヌ城は、十二世紀、ルイ七世の時代にはじまるんだとか。今のヴァンセンヌ城は、十四世紀、シャルル五世が完成させたものと、伝えられています。
その後、十五世紀になってからのヴァンセンヌ城は貴族たちの牢獄としても使われるようになっています。
このヴァンセンヌの牢獄に、1778年から六年間、囚われの人となっていたのが、サド侯爵であります。
サド侯爵は、1740年6月2日に、巴里の「コンデ館」に生まれています。また幼少期のサド侯爵は、ルイ=ジョセフ・ド・ブルボンの遊び相手だったとも。
サド侯爵に興味を持っていた作家に、遠藤周作がいます。
「それでもやっと一台のボロ車をやとって山のふもとまで着いた。ラ・コストの村は雪に覆われた山の中腹にあり、その頂に半ば崩れたサドの城が小さくそびえていた。」
遠藤周作は1960年に発表した『サド侯爵の城』に、そのように書いています。
このサド城はアプトという村からさして遠くはないらしい。でも、アプトからは電車もバスもなくて、自動車で行くしかなくて。
遠藤周作はサド城のみならず、ヴァンセンヌの牢獄をも訪ねています。
「ヴァンセンヌの牢獄を訪れた時は彼の幽閉された部屋を発見し胸の疼くのをおぼえた。」
そんなふうにも書いています。遠藤周作はフランス文学者でもありますから、サド侯爵に関心を抱いたのも当然であるのかも知れませんが。
遠藤周作にはまた、『サド伝』の著作もあります。1959年の発表。ということはおそらく1940年代から、サド研究がはじまっていたものと思われます。
「モントルイユ夫人の密告によって侯爵は二月十三日、ヤコブ町、ホテル・ダンヌマルクでマレー刑事に逮捕され、ヴァンセンヌ城塞に送られたのである。」1777年のこと。
遠藤周作の『サド伝』には、そのように出ています。
ヴァンセンヌが出てくる小説に、『独身者たち』があります。フランスの作家、モンテルランが、1934年に発表した物語。
「ヴァンセンヌの散歩道にも行ってみた。心に鉄のおもりをつけたような気持でさまよいながら、かわききった散歩道をむさぼるように見つめた。」
また、『独身者たち』には、こんな描写も出てきます。
「彼は着古した黒いウープランドに身につけていたが、」
ここでの「彼」は、エリー・ド・コエトキダンという人物なのですが。
「ウープランド」houpplande は、十五世紀に流行した外套。ゆったりしたシルエットに、ゆったりした袖のあるのが、特徴。
どなたかウープランドを復活させて頂けませんでしょうか。