ベンは、人の名前にもありますよね。ふつうBen と書いて、「ベン」と訓むことが多いようですが。
たとえば、ベン・シャーン。もちろん、アメリカの画家です。ベン・シャーンは1898年9月12日に、リトアニアに生まれています。代表作は1945年に描いた『解放』でしょうか。
でも、日本にも「ベン」と呼ばれるお方がいないわけではありません。ひとつの例ではありますが、水上 勉。
水上 勉と書くのは、易しい。でも、訓み方は難しい。
「みなかみ つとむ」と訓んでみたり。
しかしほんとうの訓み方は、「みずかみ つとむ」なんだそうですね。そしてまた、「みずかみ べん」とも。
水上 勉は大正八年三月七日、福井に生まれています。
水上
勉は昭和四年、九歳で京都の「瑞春院」に入っています。寺の小僧として。その後、紆余曲折あるものの、昭和十一年に「等持院」を出て、還俗。この間、寺での修行に明け暮れているのです。
水上 勉が小説を書きはじめたのは、昭和十四年、二十歳の頃であったという。
1986年に水上
勉が書いた随筆に、『小林秀雄の語り』があります。これは文藝評論家、中村光夫から聞いた話として。ある時、小林秀雄と中村光夫は揃って地方での講演会に。講演が終った次の朝。中村光夫ははやく起きて、近くの公園を散歩。
そこに小林秀雄がベンチに腰かけて講演の練習を。中村光夫が近くに寄ってお訊ねすると。小林秀雄はこんなふうに言った。
「昨日のウケが良くなかったのでね。」
うーん。あの小林秀雄して、そんなことがあるのでしょうか。
小林秀雄と水上 勉との縁は、「金閣寺」。小林秀雄に、『金閣寺焼亡』があり、水上
勉に『金閣寺炎上』がありますので。もちろん三島由紀夫の『金閣寺』も忘れてならないでしょうが。
水上 勉が小説の外に得意としたものに、料理があります。おそらく昭和の作家の中で、三本の指に入るお方でしょう。
とにかく九つの時から、寺で料理を担当していたのですから、年期が入っています。その水上 勉に、『土を喰う日々』があるのはご存じの通り。
『土を喰う日々』は、1978年に発表されている随筆。
「禅寺は三日に一ど豆腐だが、じつはこれには精進ばかりの日常に栄養を仕込む工夫がなされているのであって、大方の禅僧が長寿を保ち、しかも老師級の人物に目立つ痩身もなく、肥りすぎもなく、すがたのいい健康美で、九十歳以上までも長生きされることの多いのは、豆腐の力あってのことかと思われもする。」
水上 勉は『土を喰う日々』の中に、そのように書いてあります。
「軽井沢の落葉松林を歩いていて紫しめじを見つけた時のうれしさは格別だが、ごぼうもまた、しめじにくらべてたくさんあるので楽しいものの一つ。」
そのような文章にも出会います。
ベンが出てくる小説に、『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』があります。1985年に村上春樹が発表した長篇。
「ベン・ジョンソンのことを考えていいかな? 」と私は訊いてみた。」
ジョン・フォードの古い映画に出てくる乗馬のうまい俳優と説明されているのですが。
村上春樹が1980年期に書いた随筆に、『にしんの話』があります。
「そういえば僕がはじめて買ったスーツはヘリンボーン、つまり「にしんの骨模様」である。」
それはVANのスーツだったとも書いてあるのですが。
「ヘリンボーン」herring bone は、「にしんの骨」。日本語なら、「杉綾模様」。
英語での「ヘリンボーン」は、1887年の小説の中で、すでに用いられています。英国の作家、トーマス・ハーディの書いた『ウッドランダーズ』の中に。
どなたヘリンボーンのスリーピース・スーツを仕立てて頂けませんでしょうか。