チョコレートとチムニーポット

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チョコレートは美味しいものですよね。朝に食べて、昼に食べて、夜に食べて、飽きるということがありません。
チョコレートの原料、カカオは健康にもよろしい。ますますチョコレートを食べたくなってきます。
チョコレートの歴史は四千年なんだとか。その四千年の歴史のほとんどは、飲む歴史だったんだそうです。つまり飲むためのチョコレート。今、私たちがいうところの、ココア。ホット・チョコレート。これが後の時代に、「食べるチョコレート」になったわけですね。

「昼ごろペット弁務官といっしょに外出、彼といっしょにコーヒー・ハウスへいって、チョコレートを飲む。たいそうおいしかった。」

英国のサミュエル・ピープスの『日記』にそのように出ています。1664年11月24日のところに。今からざっと三百五十年ほど前の話でしょうか。
これによって、少なくとも1664年のロンドンにチョコレートを飲ませる店があったことが分かるでしょう。
当時、ロンドンではコーヒー・ハウスが流行っていて、そこではチョコレートを飲ませることがあったものと思われます。
また、コーヒー・ハウスとは別に、「チョコレート・ハウス」の呼び方もあったらしいのですが。

「三人でクリードの部屋へゆき、そこにかなりの間いて、チョコレートを飲んだ。」

1662年10月17日の『サミュエル・ピープスの日記』に、そのような記述があります。これはロンドンのクラブでの話として。
1662年にはそれぞれのクラブで、チョコレートを飲むこともできたのでしょう。

「クリード氏と外出し、朝の一杯をやる。わたしの胃を落ちつかせるために、彼はココアを飲ませてくれた。」

1661年4月24日の『日記』に、そのように書いてあります。
前の日、4月23日に、ピープスはいささか飲みすぎて。それで一種の薬でもあるかのように、チョコレートを飲んだものなのでしょう。
つまり、1660年代のはじめのチョコレートは、薬用という印象があったのでしょう。
イギリスにチョコレートが伝えられたのは、1659年頃のことなんだとか。
イギリスの週刊誌「マーキュリアス・ポリティカス」6月12日号に、チョコレート・ハウスの宣伝が出ています。
場所はロンドンのクイーンズヘッド・レーンで。その宣伝文句には、「万能薬」と説明されているのですが。
初期のチョコレートに薬用の印象があったのは、間違いないでしょう。
十七世紀に有名だったチョコレート・ハウスに、「ココア・トゥリー・チョコレート・ハウス」があります。開店当時、店の前に、ココアの樹が植えられていたので、その名前があります。この「ココア・トゥリー・チョコレート・ハウス」は、セント・ジェイムジズ・ストリートに、十九世紀末まではあったという。
そして、もう一軒が、「ホワイツ・チョコレート・ハウス」。ピープスが通ったのは、どちらの店だったのでしょうか。

チョコレートが出てくる小説に、『ストップ・プレス』があります。1939年に、英国の作家、マイクル・イネスが発表した長篇。

「ティミーはそう応じると、チョコレートのついた親指をゆっくりと舐め、ふたたび高価なパイプを取り出した。」

また、『ストップ・プレス』には、こんな描写も出てきます。

「執拗な反復が続くだけの没個性的なロンドン ー 多数のチムニーポットがそれぞれ特色はあるものの無意味な主張をくりひろげるロンドンへと移った。」

これはロンドンに向かう列車からの眺めとして。
「チムニーポット」chimmey pot は煙突の先端部分のこと。
そしてまた、俗語では、「トップ・ハット」の意味にもなります。まるで煙突のようにクラウンの高い帽子の意味だったのでしょう。
どなたかチョコレートを飲むにもふさわしいチムニーポットを作って頂けませんでしょうか。

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