カトリックは、キリスト教の宗派のことですよね。キリスト教最大の宗派。
CATHOLIC と書いて「カトリック」と訓みます。カトリックのもともとの意味は「普遍的な」の意味であったそうですが。
普遍的。たしかに、そうであるのかも知れません。カトリックに限ったことではありませんが、「聖書」。あの聖書は毎年、約四億部ほど売れているんだそうですね。もちろん、世界中で。四億部の聖書。これは宗派を超えて、キリスト教の信者の数の多いことを物語っているのでしょう。
カトリックは昔の日本では、「加特力」の文字を宛てたこともあるんだとか。
「加特力を信ずる養父母は、吉利人に使はるゝのを嫌ひぬれど、わが物讀むことなど覺えしは、彼家なりし雇女教師の恵なり。」
森 鷗外が、明治二十三年に発表した小説『うたかたの記』に、そのような一節が出ています。
『うたかたの記』は、当時ドイツに留学していたある日本人の洋画家をモデルにした短篇なのですが。なぜここに「英吉利」が出てくるのか。英国は主に「イギリス国教」。カトリックとはまた宗派が異なっているので。
「門馬兄弟も大泉さん達も、カーキ色の労働服の胸に鉛色のカトリックのメダルを光らせて」。
昭和十年に、石川達三が発表した小説『蒼氓』に、そのような文章が出てきます。『蒼氓』は、第一回の「芥川賞」受賞作。
これは神戸のカトリック教会でのこと。これからブラジルに行く物語。当時のブラジル移民はカトリックの洗礼を受けることになっていたのでしょうか。
カトリック教を日本に伝えたのは、ザビエルということになっています。
フランシスコ・ザビエルは、1506年4月7日、スペインのナバラに生まれています。ナバラは、バスク地方。つまり、ザビエルはバスク人だったのですね。
Xavier
と書いて「ザビエル」。でも、正しくは「シャヴェル」ではないか、との説もあります。が、ここでは慣例に従って「ザビエル」の表記とさせて頂きます。
フランシスコ・ザビエルは、1549年8月15日。九州、鹿児島の根占港に着いています。
マレーシアのマラッカから五十三日の船旅を経て。では、なぜ、鹿児島の根占港だったのか。根占港が、良港だったので。そしてもうひとつ。案内人の「アンジロウ」の故郷だったので。
フランシスコ・ザビエルは、1547年12月7日頃、マラッカの「丘の聖母教会」で、はじめてアンジロウに会っています。ザビエルはいつか日本に布教に行きたいと考えていたので、これ幸いと親しくなったものでしょう。
では、日本に着いたザビエルは、日本人のことをどのように感じたのか。
「この国の人びとは今までに発見された国民の中で最高であり、日本人より優れている人びとは、異教徒のあいだでは見つけられないでしょう。」
ザビエルは、1549年11月15日に、鹿児島で書いた手紙の中に、そのように記しています。
カトリックが出てくる小説に、『従兄ポンス』があります。フランスの作家、バルザックの傑作。
「カトリックの神話では、天使には頭しかない。」
そのような一節があります。また、『従兄ポンス』を読んでおりますと、こんな描写も出てきます。
「あのおぞましき何重もの袖つき外套の重みで身体を悩ますことなく上半身を覆うという問題をすでに解決していたのである。」
これは当時の巴里で流行っていた「スペンサー」の利点について。
「袖つき外套」の原文は、「カリック」carrick になっています。
カリックは、ケープが五段重ねになった外套のこと。カリックの身分の高い聖職者もカリックを着ることがあるようですが。
どなたかカリックを仕立てて頂けませんでしょうか。