食卓のハンカチ
ナプキンは食事用の四角い布のことである。服が汚れるのを防ぎ、手や口、あるいはワイン・グラスの縁を拭いたりするのにも使う。
英語のナプキン napkin も古い言葉で、少なくとも中世にはあったらしい。これはフランス語の「ナップ」 nappe から来ている。ナップは、「テーブル・クロス」のことである。
フランス語のナップは、ラテン語の「マッパ」 mappa が語源。古代ローマの「マッパ」は今のナプキンを指す言葉であった。
古代ローマでは貴族といえどもたいていは手づかみで食べた。当然、手が汚れるので、手拭き用の布は不可欠だった。いや、ひとつ例外があった。彼らはエスカルゴを食べる時には、小さな、細長い、フォークのようなものを使ったという。
古代ローマの貴族は食事中、使用人に用事を言いつけることもあった。どこに行って、何々を買って来てもらいたい、とか。そんな時、マッパの上に位置を書き記した。ここから今の「マップ」 map ( 地図 ) が生まれたのである。
「私が洋食の食べ方を教った頃はチョッキの三つ目位のボタンにはさむように言われたが、近頃は二つ降りにするか、ななめに三角に折るかして、膝の上におくことにしている。」
春山行夫著『食卓の文化史』 (昭和三十年刊 ) には、そのように出ている。ナプキンの使い方も様ざまであろうが、昔のヨーロッパでは首にかけて、その後ろで結ぶことが多かった。ことにイタリアではそうだった。今は、膝の上に置くのが一般であろう。その両者の中間が、チョッキに挟むことかも知れない。
新訳聖書『ルカ伝』にも、ナプキンが出てくる。ある貴族がしばらく旅に出ることになった。それで十人の召使いにそれぞれ一ポンドづつ与えた。やがて貴族は旅から戻り、召使いに尋ねる。「お金を殖やしましたか?」と、ひとりの召使いが答える。「いいえ。ナプキンに包んでおきましたので」。
ここから「ナプキンに包む」は、「使わないで仕舞っておく」の意味が生まれたという。それはともかく、新訳聖書の時代にはかなりナプキンが一般化していたことが窺えるだろう。
フランスの「ナップ」がテーブル・クロスであるのは、すでにふれた通りである。十六世紀くらいまでのフランスでは、テーブル・クロスがナプキンであった。というのは皆、自分の目の前のテーブル・クロスで手を拭いたからである。
「手に脂がついて汚れたりした時、それを口の中でなめたり、上衣で拭いたりするのは下品である。テーブルクロスで拭うのが最も上品である。」
エラスムス著『作法書』 ( 1530 年刊 ) の一節。ここからもテーブル・クロスがナプキン代りであったことが分かるに違いない。やがてフランスでは小形のテーブル・クロスが生まれる。それが「ナプロン」である。
もっとも今のフランスではふつうナプキンのことを、「セルヴィエット」serviette と呼ぶ。またイギリスでも、「サーヴィエット」と言わないでもない。が、やや気取った言いまわしではあるが。
十六世紀のイギリスではごく短い期間、胸に挿すハンカチのことを、「ナプキン」と呼んだ時代があるという。また、イギリスならではの表現に、「ドイリー」doily がある。「ドイリー・ナプキン」とか、「デザート・ドイリー」などともいう。これはごく小形のナプキンのこと。たとえば紅茶とケーキなどという時にも使う。あるいは食卓でのちょっとした敷物代りにも使ったりする。
ドイリーは、アン女王の時代、サー・ジョン・ドイリーが考案したので、その名前がある。ドイリーは極小のナプキンであるが、一般に27インチ角、24インチ角、22インチ角のナプキンが使われる。27インチ角のナプキンは、正式のディナー用とされる。
1682年に、ジル・ローズという人物が、『ナプキンの畳み方』という本を出している。この中に、ナプキンでパンを包むやり方が紹介されている。今でも時としてそんなサーヴィスに出会ったりする。が、これにも古い歴史があるのだろう。
1910年に詩人のギョーム・アポリネールが書いた『詩人のナプキン』というのがある。これはある画家のアトリエで、四人の芸術家が食事をする物語。そこにはナプキンが一枚しかなくて、四人で使い回し。その結果……。この上なく幻想的な結末に。あとは読んでのお愉しみ。
「慌てて席を立って右手にナプキンを下げながら、自分の前を葉子に通らせて、顔を真赤にして座にかえった。」
有島武郎著『或る女』 (明治四十四年発表 ) に出てくる一文。小説に描かれたナプキンとしては、比較的はやい例かと思われる。「葉子」は、女主人公。これは物語の伏線になっている。たった一枚のナプキンから、物語がはじまることもあるのだ。