ホテルがお好きだったお方に、内田百閒がいます。本名、内田栄造。岡山の出身。岡山には、百閒川が流れていて、ここから名づけて、内田百閒。
内田百閒はホテルの中でも、東京ステーションホテルを偏愛した。もっとも今の新しい、豪華なホテルではなくて、昔の、ステーションホテルを。たぶん、汽車の出入りを眺めながら食事のできるホテルだったからでしょう。百閒先生は、汽車がことの外お好きでしたからね。
最初の東京ステーションホテルの設計は、辰野金吾。フランス文学者の、辰野 隆のお父さん。以前の東京ステーションホテルは、ちょっとした「迷宮」の気分があって、これもまた百閒にはお似合いだったのでしょうね。
内田百閒が奇人だったのは広く知られている通りでしょう。奇人だったからこそ、「奇文」が書けたのに違いありません。内田百閒の著に、『餓鬼道肴蔬目録』があります。これははじめの一行から、おしまいの一行にいたるまで、食べ物だけを列記した内容になっています。食べ物の列記だけで完結している話は、古今東西広しといえど、『餓鬼道肴蔬目録』あるのみではないでしょうか。まさしく、「奇文」であります。
「さわら刺身 生姜醤油………。
とはじまって。
「オクスタン塩漬
牛肉網焼き
ポークカツレツ 」
と、続き。
「オ刺身又は洗い コレハ時化デナイ限リ必ズ 殆ンド毎日小鯛の塩焼」
これにて、おしまい。この間、ざっと百近くの「食べたいもの」が並べられるのですから、口が開いてふさがりません。
内田百閒の随筆に、『山高帽子』があります。
「私は昔から山高帽子が好きで、何処へ行くにも被り廻った。」
随筆としてはかなり長い読物になっています。ボウラーを愛用するなら、一度は目を通しておきたい物語かも知れませんが。