ウディで、フォーク・ソングでといえば、ウディ・ガスリーでしょうね。ウディ・ガスリーに憧れたのが、ディラン。ボブ・ディラン。
ボブ・ディランがニューヨークに着いたのは、1961年の冬。ボブ・ディランは、貨物列車に乗ってニューヨークに来た。そう信じられていたことがあります。そのように信じさせたのは、ボブ・ディラン自身。ほんとうは、ヒッチハイクで。1957年型フォード・インパラに乗せてもらって。
1961年に。どうしてディランはニューヨークを目指したのか。ウディ・ガスリーに会いたくて。ディランは実際、ガスリーに会っています。そしてディランは言った。「歌が歌いたいんですが………」。これに対して病床のガスリーは、言った。
「歌いたいなら、歌えばいいじゃないか!」
これもまた、名言。少なくとも深い言葉ですね。
では、ディランはなぜ放浪の旅に出たのか。『オン・ザ・ロード』を読んだから。
「『路上』は、私の聖書だった。」
『ボブ・ディラン自伝』には、そのように書いています。『路上』が、ジャック・ケルアックの作であるのは、言うまでもないでしょう。
ここのところをうんと縮めて言いますと。
ボブ・ディランに『風に吹かれて』を歌わせたのは、ウディ・ガスリーと、ジャック・ケルアックだった、ということにもなるでしょうか。
ウディが出てくるミステリに、『アメリカ銃の謎』があります。1933年に、エラリー・クイーンが発表した物語。
「ウッディにたいして、ひどく手きびしいね、キット」
これはグラント老人の科白。ロデオのカウガール「キット・ホーン」に対しての言葉。『アメリカ銃の謎』は、ロデオが舞台になったミステリなので。「ウッディ」は、ロデオのスターという設定。また、『アメリカ銃の謎』には、こんな描写も。
「堅い胸当てや、ウイング・カラーのために、洗濯屋の勘定が、ひどくかさんでいた。」
これは、エラリー・クイーン自身のこと。それだけ燕尾服を着る機会が多かったわけです。そして今の時代より、洗濯代が高かったのでしょうか。
時にはウイング・カラーのシャツを着て。ウディ・ガスリーのレコードを探しに行くとしましょうか。