すしは美味しいものですよね。海に囲まれた国ならではの発明でしょう。
でも、すしの文字に困ることがあります。寿司なのか、寿しなのか、鮓なのか、鮨なのか。
二葉亭四迷が、明治二十二年に発表した『浮雲』には、「寿司」と書いています。
すしが出てくる名作には、志賀直哉の『小僧の神様』がありまして。ここでは、「鮨」となっています。
しかし、いずれにしても、もともとは「酸し」からでている言葉であるのは、間違いないでしょう。つまり発酵食品だったわけですね。
「すしの食い方」。これは夏目漱石の記録に出てきます。『Tのすしの喰ひ方』がそれです。ここでの「T」は、寺田寅彦のこと。
ある時、寺田寅彦、漱石先生のお宅に。たぶん明治末のことかと思われます。もっともこの時期、寅彦は毎日のように漱石を訪ねていたらしい。
そんな、ある時。漱石先生がすしをとってくれた。当然、漱石と寅彦とがふたりで、食う。
この時、寅彦、海老のすしを残した。で、漱石が寅彦に訊いた。
「きみは海老が嫌いなのかい?」
寅彦は、なんとも答えようがなかった。まったく無意識に食べていたから。後で気づいたことは。漱石先生が玉子を食べると、寅彦も玉子。先生がのり巻きに手をつけると、寅彦ものり巻きに。で、結局、漱石が手をつけなかった海老が残った、と。
まあ、これも無意識の子弟愛だったのでしょう。
明治二十九年。寺田寅彦は、熊本の「五高」へ。この時の英語の先生が、夏目漱石だったのです。夏目先生は、朝の7時か8時まで、シェイクスピアを論じたという。その頃の漱石はどんなふうだったのか。
「黑のオーバーの釦をきちんとはめて中々ハイカラでスマートな風采であつた。」
寺田寅彦著『夏目漱石先生の追憶』に、そのように書いています。
今、仮にスマートを「粋」と訳しておきましょうか。
コオトが粋なのか。コオトを着た漱石の様子が粋なのか。これはよく考えてみる必要があるでしょう。
私みたいに最高に粋なコオトを着ても、まったく粋には見えない男もいることですから。
まあ、好みのコオトで、馴染みの鮨屋に行くとしましょうか。