芥川と厚司

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芥川で、作家でといえば、芥川龍之介でしょうね。芥川龍之介というと、和服の印象があるのかも知れませんが。
その芥川龍之介が、ネクタイについて、どんな感想を持っていたのか。
芥川龍之介は、大正十三年『新潮』二月号に、『紅薔薇の様なネクタイ』という随筆を書いています。
たぶん大正十二年の初夏のことでしょう。芥川龍之介は谷崎潤一郎とふたり、神田に出かけたことがあるんだそうですね。その時の谷崎潤一郎の着こなしを。

「谷崎氏はその日も黑背廣に赤い襟飾りを結んでゐた。僕はこの壮大なる襟飾りに、象徴せられたロマンティシズムを感じた。」

では、芥川自身は何を着ていたのか。それについても書いてくれています。

「親父の道行きを借用してゐた。」

道行は、和装のコオトともいうべきもの。つまり、この日の芥川は着物姿だったわけですね。
芥川と谷崎は、「裏神保町」の「カッフエ」へ。芥川龍之介は、そのように書いています。「カッフエ」ですから、当然、女給がいて。女給もまた、谷崎に言う。

「まあ、好い色のネクタイをしていらつしやるわねぇ。」

芥川はなにも自分のネクタイが褒められたわけでもないのに、女給に五十銭のティップを。と、後で谷崎が芥川に。

「何も君、世話にはならないぢやないか?」

これが最後のオチになっています。
芥川龍之介の随筆には。『志賀直哉に就いて』も。この中に。

「描写上のリアリズム。この点では誰も(トルストイさへも)志賀氏ほど細かくない。」

そのように書き始めています。
志賀直哉が大正十三年に発表した短篇に、『雨蛙』があります。この中に。

「竹野は着て居た厚司を其場へ脱ぎ捨てると………………」。

厚司はもちろん、「あつし」と訓みます。昔、アイヌの人が手織りにした民族衣裳のこと。オヒョウと呼ばれる樹皮から繊維をとって、それで織った生地のこと。その意味では、植物繊維。多くは、染めることなく、織る。ためにベージュの地になるものです。
厚司もまた、復活してもらいたい生地のひとつですが。

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