巴里祭は、フランスの革命記念日のことですね。
1789年7月14日のフランス革命を記念しての、お祭。「キャトウルズ・ジュイエ」。
1932年の、ルネ・クレール監督の映画に、『キャトウルズ・ジュイエ』があります。
これが日本に輸入されることになって、『パリ祭』の題名に。日本人には、
『キャトウルズ・ジュイエ』では分かりませんからね。
「さつきから言つたやうにね。巴里祭にはあたしが見つけてあげたその娘をぜひ一緒に連れてお歩きなさい。」
岡本かの子が、昭和十三年に発表した『巴里祭』の一節。小説の題としての「巴里祭」としては比較的はやい例でしょう。
これは「リサ」が、「新吉」に対しての言葉なのですが。
岡本かの子の『巴里祭』を読んでいますと。こんな会話も出てきます。
「………………おや、茴香の匂ひがするよ。」
これは、ベッシェール夫人の、新吉に対する科白。当時の巴里のカフェで。
「茴香の匂ひ」ということから、マダム・ベッシェールはアブサンを想う。で、そっと注文すると、アブサンが出てきた場面。
1938年頃の巴里では公には、アブサン禁止。でも、裏に回れば、まったくないわけではなかったことが窺えるでしょう。
昭和七年七月に巴里に住んでいた作家に、林芙美子がいます。
1932年七月14日は、木曜日で、林芙美子は何をしていたのか。
雨多し。
フィリップを読む。フィリップをケイベツした男があつたが、
フィリップは私の心のいこひだ。
林芙美子は、7月14日の『日記』に、そのように書いています。どうも巴里祭見物にはでかかけてはいないようです。フランスの作家「フィリップ」の小説を読んでいたのでしょう。
林芙美子著『巴里の恋』には『日記』も、また、『巴里の小遣ひ帳』も出ています。
たとえば。
「野菜袋 黒エナメル素敵だ 10フラン」
そんなふうに書いてもいます。これは1931年11月23日の『小遣ひ帳』に。
あるいはまた。1931年12月28日の『小遣ひ帳』には。
メトロ 二人分 2;80 フラン
オオデコロン 17 フラン
コテイクリーム 17 フラン
このようにも書いています。
「オオデコロン」の銘柄は特には書いていません。が、「コティ」のクリームと同じ値段だったことが分かるでしょう。
「近來ハ追々右百合ヲ播殖シ、其花ヨリ(オウテコロニイ) ト称スル最上品ノ香水ヲ取リ、美人必要ノ……………。」
明治四年『新聞雑誌』六月付に、そのような記事が出ています。見出しは、「百合根を輸出」となっているのですが。
これは日本の百合が海外で注目されているとの内容になっています。
日本の百合が、一鉢、一金十六両で売れるとも、書いてあるのです。この十六両は、外国の「八十フラング」だと。これはフランスの80フランのことなのでしょうか。
「……………さらさらと裾の擦れる音が此方に近付くと香水の馨がぷーんと鼻を衝く。」
明治三十三年に、小栗風葉が発表した『初すがた』の一節にも、そのように出ています。
少なくとも明治三十年頃には、和装に香水を使う習慣も生まれていたのでしょう。
フランス語なら、「パルファン」p arf um でしょうか。
パルファンのもともとの意味は、「煙を通して」。その昔、香木から佳い香りを得たことによるものです。
どなたか佳き香木を想わせる香水を作って頂けませんでしょうか。