魔法とマンダリン・カラア

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魔法は、マジックのことですよね。魔術であり、妖術でもありがとう。
思ってもいなかった佳いことがあったときにも、「イッツ・マジック!」と言ったりすることがあります。魔法という言葉があり、魔術という言葉があるからには、使いや魔術師はいるのでしょうか。
カート・セリグマン著の『魔法』を読む限り、魔法使いも魔術師もいたんだそうですね。
たとえば、「サン・ジェルマン伯爵」。サン・ジェルマン伯爵は、さすがに魔法使いだけあって、その氏素性はほとんど知られてはいません。
ただ、サン・ジェルマン伯爵が、フランスのルイ十五世に愛顧されたのは、間違いないないようですね。
その頃、ルイ十五世は、傷ついたダイヤモンドを持っていて。そのことをサン・ジェルマン伯爵に話すと。「私がお直ししましょう!」。事実、サン・ジェルマン伯爵は、直ちにルイ十五世のダイヤモンドの傷を取り去ったという。以来、サン・ジェルマン伯爵は、ルイ十五世の私室にも出入り自由となったのだそうですが。

「いつも四十歳くらいに見え、身なりはりっぱだった。髪は黒く、快活で、微笑をたたえていた。そして衣装には、高価な宝石をいっぱいつけていた。」

カート・セリグマン著『魔法』にはそのように出ています。

『魔法』と題する小説を書いた作家に、山本道子がいます。
昭和四十七年に、山本道子が書いた小説が、『魔法』。これはその年の「新潮新人賞」を受けているのですが。

「女房は云った。やっぱりアサコは魔法を使った」

そんな会話が出てくるので、『魔法』という題名なのでしょう。『魔法』の背景は、オーストラリアになっています。どうしてオーストラリアなのか。

「立川基地界隈で母の従姉が店を開いていた仕立屋で働くうち、豪州兵のマイクと出遇って彼の国へ渡って以来、ベティさんは一度も日本へ帰っていない。」

山本道子の代表作である『ベティさんの庭』には、そのような文章が出てきます。
もし、山本道子を文中の「ベティさん」だとするなら、案外、推理は簡単かも知れませんが。戦後間もなく、立川に限ったことではありませんが。米軍基地のある町で、一時期テイラーが栄えたことがあります。
当時の若者の中には、わざわざ米兵好みのスーツを仕立ててもらうために、基地のある町の洋服店を訪ねたりしたものです。これもまた、日本のファッション史の一頁と言えるのかも知れませんが。
山本道子著『ベティさんの庭』を呼んでいると。

「たまにマンダリンが入荷すると、ベティさんは、日本の蜜柑を想い出して、そのばで反射的に故里の庭の情景が眼に浮かんだ。」

そういえば、「マンダリン・オレンジ」の名前がありますよね。どうして、「マンダリン・オレンジ」なのか。
中國、清朝期の官吏の制服の色に似ているから。清朝のお役人は、オレンジともゴオルドとも形容したい色が制服だったのです。
官吏の制服の特徴はもう一つあって、立襟。この中國式の立襟を、マンダリン・カラア 
m and a r in coll er と呼んだのであります。
少なくとも1950年代には、「マンダリン・カラア」の言葉が用いられていたようですね。
中國、清朝のお役人制服は、シルクでありました。
どなたかマンダリン・カラアの絹の上着を仕立てて頂けませんでしょうか。

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