ヒューマニズムは、人道主義のことですよね。ヒューマンは「人の」という意味ですから、人間尊重の原理ということなのでしょう。
ヒューマニズムと似たような言い方に、「ヒューマニスト」があります。人道主義者。「人間らしく生きたいなあ」と日頃から思っている人のことでしょう。
人間らしく。これが難しいんですね。私なんかもどうかすると、機械のように生きているところがあるのではと、日々反省しています。
杖をついて横断歩道の端に立っている老婆。つい、知らんぷりをしたり。後で、「なんで横断歩道の向うまで一緒に歩いてあげられなかったのか」。悔むことしきりであります。
「人間法則主義と云つた意味でのヒューマニズムと云ふ唯一つの主義しか存在しない事になりますね。」
1929年に、長與善郎が発表した『竹澤先生と云ふ人』に、そのような文章が出てきます。
また、『竹澤先生と云ふ人』には、こんな一節も出てくるのですが。
「だから僕らは一方自分を理想主義的なヒューマニストだと任じてゐるんですが。」
人は勝手に山を切り崩したりもしている。そんな話も出てきます。うーん、人間優先もなかなか難しいですね。
ヒューマニズムが出てくる随筆に、『写真随筆』があります。これは写真家の、土門 拳の随筆集。発表の時期は、それぞれが異なっているのですが。
「アマチュア大衆がメカニズムとヒューマニズムをすりちがえやしないかということである。」
土門 拳の説によりますと。写真機と写真とは、まったく別物。写真家が写真機をひけらかすのは、無意味だという趣旨のようです。
また土門 拳の『写真随筆』には、こんな話も出てきます。
「その点、尻ポケットは、財布を入れて窮屈でないし、出し入れも簡単だ。」
土門 拳は財布をズボンのヒップ・ポケットに入れておく習慣だったようですね。そのために特別製作の深いヒップ・ポケットに仕立ててもらっていたとも。
「銀座テーラー」や「丸善」で。
専門家は時に「ピス・ポケ」とも。これは早口のヒップ・ポケットを耳で聴いて「ピス・ポケ」と聞こえたことにはじまっています。
どなたか美しいヒップ・ポケットのトラウザーズを仕立てて頂けませんでしょうか。