紋切型は、決まりきった言い方のことですよね。
「今日はご多忙のところ大ぜいご参集下さり、誠にありがとう存じます。」
これなども紋切型のひとつでしょう。客の方では暇を持てあましていたかも知れませんから。
紋切型。これは読んで字のごとく、「紋屋」での言葉だったという。紋を描く時、あらかじめ取っておいた紋切型に沿って、完成させた。それで、「紋切型」の言い方が生まれたんだそうです。
まあ、「金太郎飴」というのにも似ているのでしょうか。
「口は其言語動作が普通の半可通の如く、文切り形の厭味を帯びていないのは聊かのとりえであらう。」
これは寒月と迷亭との会話を聴いている「吾輩」の感想として。
夏目漱石の小説『吾輩は猫である』に、そのような一節が出てきます。漱石は「文切り形」と書いているのですが。これは例によって例のごとく、「漱石語」のひとつかと思えるのですが。
この迷亭と寒月とのやり取りを聴きながら先生は何をしているのか。
「空也餅」を食べているんですね。漱石もまた、この空也餅がお好きだったようですね。
紋切型のすべてが退屈なのか。いえいえ、そんなことはありません。中には抱腹絶倒の紋切型もあるのですから。
たとえば、『紋切型辞典』。ちょっと暇な時、『紋切型辞典』を開きますと、止まらなくなってしまいます。
もちろん、フランスの作家、フロベエルの作なのですが。『紋切型辞典』は、フロベエルの遺作とも言えるものであります。未完のままに終っていますから。
ざっと千語ほどの言葉について、フロベエルならではの解釈が添えられた内容になっているものです。
そもそものフロベエルの考えは、一度、その言葉について言っておけば、誰も同じことは言わないだろうとの思いがあったらしい。それで、『紋切型辞典』としたのでしょう。
たとえば、「シャンパン」。
「シャンパンは飲むなんてものではなくて、ぐいと飲み干すもの。」
余談ではありますが。ギュスターヴ・フロベエルは、1821年1月21日、シャンパーニュ地方の近くで生まれているのですが。
『紋切型辞典』で「牛乳」を引いてみますと。
「パリの女は毎朝牛乳風呂に入る。」
これでもう二度と、「パリの女は毎朝牛乳風呂に入る」とは、言えなくなってしまうわけですね。「紋切型」になってしまうので。
では、「コーヒー」は。
「砂糖抜きで飲むのは粋。東洋で暮らしたことがあるかと思わせる。」
うーん、ちょっと言ってみたい気もするのですが。
では、「手袋」は。
「防寒用でない場合には貴族的。」
なるほど。でも、これも使えません。さて、「マント」は。
「粋筋夜間の外出用には灰色のマントを着用すべし。」
ところでフロベエル自身はいったいどんなお方だったのか。1988年に、伝記作家のアンリ・トロワイヤが発表した『フロベール伝』に詳しく出ています。この『フロベール伝』には多くの書簡が挿入されているのですが。
「スパッツを履いてしゃれのめして姿を見せたら、門番に家から追い払わせてしまうような女たちだ。」
1843年2月10日付の、フロベエルの書いた手紙の一節に、そのような文章が出てくるとのこと。
十九世紀の巴里でも、スパッツは大流行だったのでしょう。
スパッツは、英語。フランス語なら、「モレティエール」
molletiere でしょうか。
どなたか十九世紀のモレティエールを再現して頂けませんでしょうか。