ラテンとライディングジャケット

ラテンは、南米のことですよね。ラテン音楽なんていうではありませんか。
南米にはじまるので、ラテン音楽。サンバやサルサなどもラテン音楽のひとつなんでしょう。
でも、どうして「ラテン・アメリカ」なのか。ラテン語を母語とする民族によって建設された国なので、「ラテン・アメリカ」と呼ばれるようになったんだとか。
ラテン語はもともと、古代ロオマで用いられていた言葉。
では、なぜ「ロオマ語」と言わないで、「ラテン語」なのか。
今、イタリアに、ラツイオという地名があります。このラツイオは古代ロオマでは、「ラティウム」と言った。このラティウムが後に変化して今のラツイオになったんだとか。
それで「ラティウム語」から、ラテン語の言い方が生まれたんだそうですね。
イタリア語はもちろん、フランス語、英語などにも、ラテン語の影響があるのは、ご存じの通り。
ごく身近なところでは、「ビスケット」。これはラテン語の「ビス・コクトゥス」から来ているそうです。それは「二度焼き」の意味。パンを二度焼くとビスケットになる。そんなふうに考えられていたのでしょう。
プラム入りのビスケットもあるかvも知れません。プラムは、ラテン語の「プルナム」が語源。
ワインはラテン語の「ヴィニム」が語源。ここからイタリア語の「ヴィーノ」がうまれ、フランス語の「ヴァン」が生まれているわけです。
ワインといえば、チーズ。チーズのもとはラテン語の「カセウス」。チーズを意味するイタリア語は、「フォルマッジオ」。フランス語では、「フォルマージュ」。これはラテン語の「フォルマティス」と関係しています。「形つくられたもの」の意味。
これは、ほんの一例で、ラテン語にはじまる現代語は少なくありません。
いや、実際、キリスト教では今もラテン語が正式の言葉となっています。それはちょうど『グレゴリオ聖歌』が、ラテン語で歌われるように。

少年の頃にラテン語を習った作家に、ヘルマン・ヘッセがいます。どうしてそんなことが分かるのか。ヘルマン・ヘッセが1905年に発表した自伝的小説に、『ラテン語学校生』があるから。

「そして、美しく、はっきりしていて、ひねくれたところのないラテン語と、古いドイツの詩人に喜びを感じ、むずかしいギリシヤ語と代数に悩まされた。」

ヘルマン・ヘッセはそのように書いています。
十六歳の少年、カール・バウワーの想いとして。このカール・バウワーに、若い時代のヘルマン・ヘッセが投影されているのは、言うまでもないでしょう。

ラテン語が出てくるミステリに、『或る豪邸主の死』があります。スコットランド生まれの作家、J・J・コニントンが、発表した物語。J・J・コニントンは、ペンネイム。本名は、アルフレッド・ウォルター・ステュアート。もともと大学教授だった人物。

「もうひとつ嫌いなのは、いつもラテン語を引用し、解釈してみせることだった。」

これは、サンダーステッド大佐についての、フリッタウイックの感想として。
また、『或る豪邸主の死』には、こんな描写も出てきます。

「シリル・ノートンはライディングジャケットの前を外し、手紙の束を内ポケットから取りだして、細かく調べた。」

この「ライディングジャケット」は、何度か登場するのですが。
ライディング・ジャケットは、乗馬服。馬に乗るための、馬を操るための服。
そのためには、身体を動かせなくてはなりません。
また、その一方で、身体にフィットしていなくてはなりません。前からの寒風が入ってくるので。
あれこれ考え合わせますと、ライディング・ジャケットこそ、理想の上着だと思えてきます。
英国紳士が木馬に跨がって乗馬服の仮縫いをするのも、そのためなのでしょう。
どなたか完璧なライディング・ジャケットを仕立てて頂けませんでしょうか。