古典巻衣
マントーは袖無し外套の一種である。日本語では、「マント」と呼ぶことが多い。
今、いくつかの服飾事典の類いに当たってみると、「マントー」の表記が優勢であったので、それに従う。
英国での「マントー」 manteau は、1670年代から用いられているという。1678年に、英国の聖職者であり作家でもあった、ジョン・バトラーの書いた書の中に、「イエロー・マントー」文言が出ているとのことただしそこでの綴りは、「mantos」になっているのだが。
そしてまた、十七世紀のイギリスには、「マントー・メイカー」の表現があったらしい。ここから創造するに、マントーを仕立てる職人は、特別の仕事とされたのであろうか。換言するなら、マントーを着るのは特別に地位の高い人であったとか。
英国でのマントーは、フランスの「マントー」 manteau から来たものと思われる。ただ、フランスでのマントーは、イギリスでのそれよりも、はるかに意味が広い。フランスでは単に、「外套」の意味になる。袖があろうとなかろうと、「外套」。つまりマントーは「外套」に対する総称と考えても良いだろう。
フランスの「マントー」は、ラテン語の「マンテルム」 mantellum と関係があるという。それは「布」の意味。たしかに外套は布から作られることが多いのだが。
それはともかく日本語の「マント」は、英語の「マントー」に近いものだ。単に「外套」ではなく、「袖無し外套」を指すことにおいて。
「非常にゆったりした、袖なし、フードつきの外衣。フランス各地の女性用民族服として、あるいは、ある階級の修道僧に現在でも着用されている。」
文化出版局編『服飾事典』では「マントー」をそのように説明している。
「マントーは豪奢な外衣として着用されたものである。通常、表地と裏地とを対照的な色で使い分けた。ヴェルヴェットの表に、厚いサテン地の裏などを組み合わせたものである。」
ラドミラ・キバロヴァ、オルガ・ヘルノヴァ、ミレナ・ラマロヴァ共編『絵入り服飾百科事典』には、十七世紀のマントーをこのように解説している。
この解説から誰しも想像するのは、あのドラキュラのマントーではないだろうか。ドラキュラが実在したかどうかはさておき、黒いフード付きの、裏が真紅のマントーが十七世紀にすでにあったことは、間違いない。
では、十九世紀のマントーはどうであったのか。1829年『ザ・ジェントルマンズ・オブ・ファッション』誌 1月号に、マントーのスケッチが出ている。それは、「ロング・ブラウン・マントー」と、説明されている。このロング・ブラウン・マントーは、当時の昼間の正装の上に羽織ったもののようである。フードの有無は定かではないが、三段の大きなケープが添えられている。
もちろん、袖無し、上襟にはアストラカンの毛皮があしらわれている。裏地は、シルク。色は分からない。少なくとも、1820年代の英国でマントーが着用されたのは、その通りであろう。
マントーとオーヴァー・コートとは違う。マントーは肩から羽織るだけであり、裏地の効果があらわれやすい。そのためにコントラストが考えられのは、想像に難くない。
しかしマントーはただ古典的な衣裳であるだけではない。
「 彼はあわてて、本能的に身を守る体勢で、身体をしっかりマントでくるんだ。まるでマントをひったくられるのを恐れているみたいだった。」
これはイタリアの作家、ディン・ブッツアーティ著『マント』 (1958年 ) に出てくる一文。久びさに家に帰った青年、ジョバンニが着ているマントー。それを彼の母が「それを脱いだら?」と言う場面。おそらく1950年代のイタリアで、マントーを着ている青年がいたものと、思われる。
「惡魔は黑色マントーにて博士を蔽ひ、舞台の切穴中へ消え入る。」
永井荷風著『歌劇フォーストを聴くの記』( 明治四十年 )の一節。これは明治三十六年頃の話。荷風はこの時、NYの「メトロポリタン劇場」で、「ファウスト」を観ている。その時の印象なのである。つまり1900年頃、永井荷風は「マントー」が何であるか、知っていたわけである。
「獺の襟の着いた、暖かさうな外套 (マント ) を着て、突然坂井が宗助の所へ遣つて來た。」
夏目漱石著『門』(明治四十三年 ) に、そのような一文が出てくる。「外套」書いて「マント」のルビを振っている。マントーの上襟に毛皮を張ることは、珍しくなかったのであろう。
「そいつはマントの裾をなびかせながら、杖をつくでもなく、存外たつしやな足どりで、さつさとすすんでくる。」
石川 淳著『灰色のマント』(昭和三十一年 ) には、そのような描写がある。ある日、主人公のもとを訪ねてきた、不思議な男のマントーである。不思議といえば、宮沢賢治の詩にも不思議なマントーが登場する。
「いつかいつものねずみいろの上着の上に、ガラスのマントを着てるのです。」
宮沢賢治作『風の又三郎』の一節である。「ガラスのマント」とは、透明のマントーなのか。
少なくともマントーに神秘性があるのは、間違いないようである。