禅とベルト

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禅とは、なにか。私には、分かりません。たぶん難しいものなんでしょうね。
禅には、「公案」というのがあるんだそうです。たとえば、「父母未生以前」とか。自分のお父さんやお母さんが生まれる前の自分はどうだったのか。そんなことを聞かれて、考えてみるわけです。
あるいは、「隻手の音声」 ( せきしゅのおんじょう )とか。片手で鳴らすのは、どんな音なのか。ますますもって、分かりません。
禅の公案では答えを出すことより、考えてみることに意味があるのかも知れませんが。「隻手の音声」」。音ある音ではなく、音なき音に耳を傾ける、とか。
「隻手の音声」が出てくる小説に、『九つの物語』が。もちろん、J・D・サリンジャーの短篇。九つの短篇集だから、『九つの物語』。
『九つの物語』のひとつに、『テディ』。これはテディという名の十歳の少年の物語。テディは、天才中の、天才。大人との会話の中に、ごく自然に芭蕉の句が出てきたり。
「此道や 行人なしに 秋の暮」
そしてまたテディはちゃんと理解しているんですね。
それはともかく、サリンジャーはかなり日本の古典に通じてもいたのでしょう。

「右肩に十センチ白銅ほどの穴の開いた洗いざらしのTシャツと、それに不似合いなほど見事な黒のワニ皮のベルトを身につけていた。」

これは、テディの姿。クロコダイルのベルトは憧れの的です。
「Tシャツとワニ革」。もし、そんな公案が出されたとしても、さっぱり解けはしませんが。

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