手紙と夏帽

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手紙を頂くのは嬉しいものですね。でも、手紙を書くのは、エンヤコラという感じでもありますが。
これはなにも今に限ったことではなくて。明治の時代にも「手紙文例集」がいくつも出ています。明治の人にとってもどこか「エンヤコラ」があったのかも知れませんね。

「冠省 その後御無沙汰してゐます。」

これは芥川龍之介の手紙の書き出し部分。宛先は、谷崎潤一郎。
日付は、大正十四年三月十七日。消印は、田端。ということは芥川龍之介、自宅の近くから投函したのでしょうね。今からざっと、九十年ほど前のこと。
では、手紙の内容はどんなふうだったのか。

「扨来月新小説から鏡花号が出るにつき、大兄にも小説を一篇書いて頂きたいと言ふことです。」

芥川は谷崎より年長なので、「大兄」なのでしょう。つまりこれは、原稿依頼。泉鏡花が芥川にそのように頼んでの、手紙だったものと思われます。
では、芥川はどんな便箋に谷崎への手紙を書いたのか。どうも、原稿用紙だったみたい。手紙の最後に、原稿用紙であることを、詫びていますから。でも、それくらいの軽い気持のほうが、手紙も書きやすくなるのでしょう。
芥川龍之介は夏になると、よく麦わら帽子を被ったようですね。それもほんとうに古典的な、昔ながらの麦わら帽子を。
なにかお気に入りの夏帽を被って。手紙の出ている本を探しに行くとしましょうか。

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