のれんとボタン

Kuniyoshi_Utagawa,_Woman_walkin_throught_a_noren
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のれんに腕押し。そんな言い方がありますよね。
同じように、「縄のれんにもたれるよう」とも言うらしい。その意味は。「まったく張り合いがない」。
「縄のれん」といって、居酒屋指すこともあります。縄のれんは、「うちは気取ってなんかいませんよ」という意味なんだとか。
東京の、とある縄をくぐったひとりに、太宰治が。昭和二年頃のこと。その時、太宰治は弘前高校一年生。冬休みを使って、東京へ。

「おでんやの縄のれんを、ぱっとはじいた、こう姉さん、熱いところを一本おくれではないか。」

『服装に就いて』の中に、そんなふうに書いています。『服装に就いて』は、昭和十六年『文藝春秋』二月号に発表。
縄のれんで、熱燗を飲んだ、若き日の太宰治は、どうしたのか。江戸弁でタンカを切るんですね。どうしても、一回やってみたかった。

「 何言っていやがるんでえ、と言い終わった時に、おでんやの姉さんが明るく笑顔で、兄さん東北でしょう、と無心に言った。」

太宰治はこの姉さんのひと言で目がさめて、おしゃれを止めたと、『服装に就いて』にはあります。
つまり、津島修治はもともととてもおしゃれだった。事実、『おしゃれ童子』という自伝ふうの小説をも書いています。『おしゃれ童子』は、小説十四年『婦人画報』十一月号に発表。

「シャツの袖口のボタンを、更に一つずつ多く縫いつけさせたこともありました。

これは、白いフランネルのシャツなんですね。結局、袖ボタンの数、四個になったという。
さて。袖ボタンの美しいシャツを着て。どこかののれんをくぐるとしましょうか。

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