越天楽とチロリアン

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越天楽は、よく知られた雅楽ですよね。
この越天楽をオーケストラ用の楽譜に仕上げたのが、近衛秀麿。
近衛秀麿は1930年代に、ヨーロッパへ。ここで折からの第二次大戦に巻き込まれることに。
1945年。もう、ベルリンんは居られないというので、脱出。愛車、フィアットにとりあえずの貴重品だけを積んで。ベルリンを出て、ただひたすら南へと。
ところが。ライプツィヒあたりで車が故障。で、車が止まって所にしばし滞在することに。リュックマールスドルフ。静かな、小さな、村。この地の、シュトックマンという家のお世話になることに。
でも、近衛秀麿は敵に逮捕されてしまう。こうして越天楽の楽譜と離ればなれに。越天楽の楽譜、行方不明。
時は流れて、1956年。近衛秀麿は、越天楽の楽譜にベルリンで再会することができたそうですね。
楽譜の行方不明といえば。『聖しこの夜』も。『聖しこの夜』は、フランツ・クサーヴァ・グルーバー。1818年12月25日。オーストリア、オーベルンドルフの、「サン・ニコラウス教会」で、初演。
ところが『聖しこの夜』の楽譜も、一時、いなくなってしまって。後になって、教会のオルガンを修理した時に、発見。でも、この楽譜、オルガンの修理師が持って帰る。チロルのチラー峡谷に。もちろん、今は再発見されているのですが。
チロルといえば、チロリアン・ハットでしょうか。チロル地方の、民族帽。それが後に登山帽となり、今はタウン・ハットとしても愛用されていること、言うまでもないでしょう。

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