ラグビーとネクタイ

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ラグビーは豪快な球技ですよね。男と男の身体がぶつかり合って、火花が散って。
ラグビーがフットボールから生まれているのは、間違いないようです。1820年代の、英国のラグビー校で。フットボールの最中、ある少年がボールを持ったまま走り出した。そこからラグビーが生まれたんだとか。
ひと時代前はたいていラグビー・シャツを着たものですね。ラグビー・シャツの前開きは特別製で、力いっぱい引張っても、破れない工夫がされていたものです。またボタンも特別のゴム製になっていたものです。ラグビーはそれくらい激しいスポーツということなのでしょう。
若いころ、ラグビー少年だったひとりに、小澤征爾がいます。小澤征爾著『おわらない音楽』に出ている話なのですが。『おわらない音楽』は、「おわらない感動」の書でもあります。
小澤征爾は十一歳でピアノの練習をはじめています。その後、ラグビーにも興味が湧いて。ピアノも弾き、ボールを持って走ったりも。
ところが十五歳の時に。ラグビーの試合中に、人差し指に怪我。それでラグビーを諦めて音楽に集中することになったんだそうです。
小澤征爾の転機は、1959年のこと。ヨーロッパへ音楽の修行に行くことに。1959年2月1日。神戸港から「淡路山丸」に乗って。乗客は小澤征爾ひとり。それというのも「淡路山丸」は、貨物船だったから。1月末に、東京駅を汽車で神戸に向かっています。
この時、小澤征爾はひとつだけ気がかりなことが。恩師、斎藤秀雄先生の意志に背いてのヨーロッパ行きだったので。斎藤秀雄先生は小澤征爾に、「まだ行くのは、早い」と。それを押し切っての出発。斎藤先生は見送りに来てくれるのか。
斎藤秀雄先生は少し遅れて、東京駅に来てくれた。そして小澤征爾の厚い封筒を渡して、言った。
「これ、使えよ」
小澤征爾が汽車に乗ってから封筒を開けると、千ドルが入っていたという。
小澤征爾のお母さんは、さくら。お母さんは手先が器用な方で、独特のニット・タイを編んだ。編んだニット・タイは銀座の「モトキ」に卸していたそうです。それは「九重織」という名前だったとも。
ニット・タイもいいものですよね。

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