クラブ・サンドイッチとクラブ・タイ

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クラブ・サンドイッチというのがありますよね。クラブハウス・サンドイッチとも。あるいは、アメリカン・クラブハウス・サンドイッチとも。
クラブ・サンドイッチは、ふつう三段重ねに仕上げられるようですね。パンはトーストしたものを使うことになっています。そして必ずコールド・チキンを挟む。もっともコールド・ターキーでなければ、という人もいるらしい。クラブ・サンドイッチのはじまりは、よくは分かっていないんだそうです。
一説に、1894年頃の、ニューヨークで生まれたんだとも。カジノ・ハウスの「サラトガ・クラブ」で出したのが最初だとか。いずれにしてもクラブ・サンドイッチがアメリカ生まれであるのは、間違いないようです。
1890年代のクラブ・サンドイッチは、軽い驚きで迎えられた。というのは、熱いものと冷たいものが一緒に挟まれていたから。トーストとベーコンは、熱い。チキンとトマトは、冷たい。これを一緒に食べるのが、新鮮だったのでしょう。その後、クラブ・サンドイッチは、流行。
どのくらいに流行したのか。1920年代末には、アメリカ議会の食堂にもクラブサンドイッチはあった。1930年になって、議会の食堂は補助金の値上げを申請。そこで槍玉に上がったのが、クラブ・サンドイッチ。議会の食堂でのクラブ・サンドイッチは、70セントだった。
「70セントも取っておいて、これっぽっちのクラブ・サンドイッチとは、何事であるか!」

ある議員は実際にクラブ・サンドイッチを見せながら、「クラブ・サンドイッチ」はそもそもいかにあるべきか、とうとうと演説したという。
洒落者とは言いますが。三段に、たっぷりと重ねたクラブ・サンドイッチを、楽々と、優雅に食べられたなら、それこそ洒落者でありましょう。
クラブ・サンドイッチが出てくる小説に、『あじさいの歌』があります。

「皮がコンガリやけ、中に野菜や肉が挟まれた暑いクラブ・サンドウィッチを、粒の揃った白い歯で…………」。

『あじさいの歌』はもちろん、石坂洋次郎作。「クラブ・サンドウィッチ」が登場する物語としては、比較的はやい例かも知れませんね。また、こんな描写も。

「源十郎は、紺の背広に黒の蝶ネクタイという改まった恰好で、正面の席についていた。」

言うまでもなく、倉田源十郎の着こなし。後に日活で映画化された時には、東野英治郎が演じていましたね。
「黒の蝶ネクタイ」。これはたぶん、クラブ・タイのことでしょう。クラブ・タイは、わりあい直線的なスタイルの、ボウ・タイのことです。

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