杢太郞とモカ

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杢太郞で、詩人でといえば、木下杢太郞ですよね。木下杢太郞は、詩人としての、筆名。本名は、太田正雄。太田正雄は、明治十八年に、静岡に生まれています。
太田正雄としては、皮膚科の権威だった人物。その一方で、木下杢太郞として優れた詩を多く書いてもいます。木下杢太郞の有名な詩に、『食後の歌』があります。この中の一節に。

今しがた
啜っておいた
Mokka のにほひがまだ何処やらに
殘りゐるゆゑうら悲し。

これは、明治四十三年に発表された詩。木下杢太郞は、どこでモカの珈琲を飲んだのでしょうか。ただ、木下杢太郞は当時としてはずいぶんハイカラな一面をも持っていたようですね。
木下杢太郞がヨーロッパに留学するのは、大正十年。明治四十三年には、まだ東京大学に在学中。ということはその時代の東京に、モカの珈琲を飲ませる店があったのでしょう。
モカはモカでも、「もか」と書くと、以前、吉祥寺にあった珈琲専門店。井の頭公園の近くにあった、とびきり美味しい珈琲を飲ませたものです。
ある珈琲嫌いの人が偶然「もか」の珈琲い触れて、以来、珈琲好きになった。そんな話さえあった店。その「もか」の店主だったのが、標 交紀 ( しめぎ こうき ) 。「珈琲の鬼」とも「珈琲の神様」とも謳われた人物。その標 交紀が珈琲豆を研究して、ついにたどり着いたのが、モカだった。それで店名を「もか」としたのでしょうね。
「もか」は今はありません。でも「もか」流珈琲は飲めます。静岡の「コフィア」に行けば。「コフィア」の店主、門脇祐希は、永年、「もか」で修業したお方なので。
モカが出てくるミステリに、『歌姫』があります。エド・マクベインが、2004年に発表した物語。

「モカ色のカシミアのスポーツジャケットの下に、いくぶん濃い目のズボンとベージュのシャツ。」

これは、バーニー・ルーミスという男の着こなし。バーニー・ルーミスは、あるレコード会社の社長という設定。なるほど「モカ色」とも言いますよね。モカ珈琲豆の色。ごく乱暴にいえば、ダーク・ブラウンでしょうか。
なにかカシミアの上着を羽織って。美味しいモカ珈琲を飲みに行きたいものですね。

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