ブライトンとボウ・タイ

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ブライトンは、イギリスの町ですよね。イングランドの、南東部の都市。もし仮にロンドンを東京とするなら、鎌倉でしょうか。ロンドンから日帰りでも行けるリゾート地です。
グレアム・グリーンが、1938年に発表した小説に、『ブライトン・ロック』があります。もちろんブライトンを背景にしているので、その題名になっています。
オーブレー・ビアズレーの出身地も、ブライトン。英國の画家、オーブレー・ビアズレーは、1872年8月21日にブライトンに生まれています。オスカー・ワイルドの『サロメ』に添えたビアズレーの絵はよく知られているところでしょう。
1932年6月に、ブライトンを訪れた日本人に、吉田 茂がいます。吉田 茂はもと総理大臣だったお方。当時の吉田 茂は駐留英國大使で、倫敦にいて。1932年の倫敦、まことに暑かった。で、ブライトンに避暑に行ったのです。
吉田 茂の随筆、『ブライトンのカレー・ライス』に、詳しく書いています。 ブライトンでの吉田 茂を案内してくれた人に、マダム・トインという人物があって。マダム・トインはその頃、ブライトンの教育局長だったという。
マダム・トインは、ご両親の関係で、インドに生まれ、インドに育ったお人でもあった。そのマダム・トインに、吉田 茂は夕食に誘われる。マダム・トインの自宅は、ブライトンの海を見下ろす高い丘の上の立派な邸宅。そこに招かれて。
カレー・ライスが出た。そのマダム・トインの作るカレー・ライスが吉田 茂の口に合った。「お代わりはいかが?」とマダム・トイン。吉田 茂は二杯目のカレー・ライスを、食べた。「お代わりはいかが?」。で、三杯目のカレー・ライスも、きれいさっぱりと。
さて、そこでマダム・トイン曰く。「今日はお料理を用意しているのですが………………」。
吉田 茂はとてもとても「料理」には手がでなかったと、書いています。
ところで、1932年、ブライトンでの吉田 茂は何をお召しになっていたのか。1932年の6月のブライトンで。英國大使がブライトンの教育局長を訪ねるのに。さあ、さあ。想像の他ありません。が、たぶん水玉のボウ・タイは結んでいたはないか。吉田 茂は晩年に至るまで、ボウ・タイのお好きなお方だったので。
ブライトン、カレー・ライス、ボウ・タイ。これはある夏の、「三題噺」でもあるのでしょう。
さて、好みのボウ・タイを結んで、好みのカレー・ライスを食べに行くとしましょうか。

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