パンとハンケチ

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パンは、笑顔ととともに食べるものですね。朝起きて。食卓に珈琲の香りとブリオッシュの匂いが漂っていれば、誰だって頬がゆるんでくるに違いありません。
さて、そのブリオッシュなんですが。日本ではじめて本格的な、巴里にも負けないブリオッシュがお目見えしたのは、昭和二十九年のことではないでしょうか。
神戸の「ドンク」が試作のブリオッシュを。この試作のブリオッシュが好評なので、翌年には商品化されています。
では、なぜ、「ドンク」は本格的なブリオッシュを作ることができたのか。フランス人技師、レイモン・カルヴェルの教えを乞うたからです。レイモン・カルヴェルは、フランス国立製粉学校の教授。そのカルヴェル教授が、1954年に日本に。その時「ドンク」の藤井社長は、辞を低くして、教えてもらったのです。パンに限らず、人に限らず、自分では分からないことがあれば、教えてもらったら、いいのですね。
「ドンク」はもともと「藤井パン」として、明治三十八年八月八日にはじまっています。藤井元治郎がはじめたので、その名前があるわけですね。
神戸は港町で、外国航路の船もたくさんありました。明治の時代から、パンの需要があったのでしょう。
「藤井パン」が「ドンク」の商標を使うようになったのが、昭和二十二年のこと。これが「株式会社 ドンク」になるのは、昭和二十六年のことです。
明治になって、たぶんパンをも食べたろうと思われる作家に、樋口一葉が。

「晴れ。又多丁にゆく。帰途はくるま。今日のうりあげ三十九銭。」

明治二十六年八月十四日の『日記』には、そのように書いています。この時の一葉は、駄菓子屋を開いていて、その店での売上なのでしょう。
樋口一葉が、明治二十八年に発表した小説に、『にごりえ』が。もちろん、国宝級の名文であります。

「紅ひの手巾かほに押當て其端を喰ひしめつゝ…………………。」

「手巾」の右脇には、「ハンケチ」のルビが振ってあります。「ハンケチ」は、明治語。少なくとも「ハンカチ」よりも古い言い方なんですね。
好みのハンカチを胸に挿して、美味しいブリオッシュを食べたいものです。

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