ジャコメッティとシャツ

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ジャコメッティは、彫刻家ですよね。アルベルト・ジャコメッティは、スイスで生まれ、フランスで活躍した、特異な彫刻家。彫刻家とはいうものの、多くの絵画をも遺しています。
アルベルトのお父さんは、ジョバンニで、ジョバンニ・ジャコメッティはスイスの画家だったお方。やはり血は水より濃し、といったところでしょうか。
アルベルト・ジャコメッティと親しかった日本人が、矢内原伊作。矢内原伊作は、日本が誇るべき哲学者であります。矢内原伊作は、ジャコメッティを訪ねて、何度もパリに渡っています。

「アトリエの前まで来てぼくは別れた。別れるとき彼は、「数日中に来てくれないか、きみの顔が描きたいから」と言った。」

矢内原伊作著『ジャコメッティ』に、そのように出ています。1956年のこと。ここでの「ぼく」が矢内原伊作で、「彼」がジャコメッティであるのは、いうまでもないでしょう。
ジャコメッティも矢内原もこの約束を守って、絵筆を採り、モデルとなっています。ただし『ヤナイハラの肖像』は、難航に難航。ジャコメッティは矢内原伊作を前に描いては消し、消しては描いて。そのために何度となく矢内原はジャコメッティのもとを訪ねています。
ある時など、旅の予定を二ヵ月半伸ばして、矢内原はジャコメッティの前に座ったという。
ジャコメッティは日本の矢内原伊作に手紙をよこして、予定を訊く。予定が決まったら、ジャコメッティが航空券を買って矢内原のもとへ。パリでの滞在費もジャコメッティ持ちだったという。

「今朝は七時まで想像できみ顔を描き、それから寝たのだがよく眠れなかった。」

ある日、矢内原がいつものカフェでジャコメッティに会うと、ジャコメッティはそんなことを言ったりした。ジャコメッティの『ヤナイハラの肖像』への執念を想わせるものがあります。
しかし矢内原はただ椅子に座っていただけでなく、数多くの写真をも写しています。もちろんアトリエでのジャコメッティの様子が多い。
ジャコメッティは片前の、三つボタン型の上着を着ていて、頸にはゆるくスカーフを巻いています。この時のジャコメッティのトゥイード・ジャケットは、「アルニス」製だろうと思われるのですが。いずれにしても美事な着こなし。
ジャコメッティがアトリエで制作中は、入室お断り。面会謝絶。でも、たったひとり例外があって、ジャン・ジュネ。ジャン・ジュネは面会謝絶と知っていて、強引に入ってくる。矢内原伊作は、アトリエでの、ジャコメッティとジャン・ジュネの写真をも撮っているのですが。この時のジャン・ジュネは、大柄のシェヴロンの外套を羽織っています。
では、ジャン・ジュネはどんなシャツを着ていたのか。
1955年に写真家のブラッサイは、ジャン・ジュネのポオトレエトを撮っています。ジャン・ジュネは黒のパンタロンに、白のシュミジェ。左胸の下に、「J G」のイニシャルが刺繍されています。
シャツのイニシャル、またモノグラムは本来この場所に入れるものなのです。
シャツは洗濯するもの、アイロンをかけるもの。シャツを仕上げた時、襟を正面にして、やや長方形に畳む。畳んだ時、右下にイニシャルがあれば、どなたかのシャツであるか、すぐに分かるわけです。
つまり、シャツのイニシャルなりモノグラムは、着る人よりむしろそれを扱う人のためだったのです。
なにか好みのシャツで、ジャコメッティの画集を探しに行くとしましょうか。

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