クリスティとクラヴァット

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クリスティで、ミステリでといえば、アガサ・クリスティですよね。アガサ・クリスティは、英國を代表するミステリ作家のひとりでしょう。
アガサ・クリスティは、1890年9月15日、英國、デヴォン州、トーキーに生まれています。
お父さんは、フレデリック・ミラー。お母さんは、クララ・ベーマー。お父さんのフレデリックはアメリカ人でした。お母さんのクララは、イギリス人。
お母さんの教育方針として、「女の子は七歳まで、読み書きを覚えてはならない」というものがあったらしい。
にもかかわらずというべきか、だからこそというべきか。八歳で、「シャーロック・ホームズ物」に夢中になっています。
アガサ・クリスティはたしかに文学少女でもあったようですね。でも、十六歳の時には、オペラ歌手を目指して、巴里に留学。アガサ・クリスティの物語によくフランス語が出てくるのは、この留学時代の名残りなのでしょう。
1914年、二十四歳のアガサは、アーチボルト・クリスティと結婚。「アガサ・クリスティ」の名前は、この時にはじまっているわけです。
1914年は、第一次大戦中で、アガサはトーキーの陸軍病院で、看護婦となっています。アガサはこの陸軍病院で、毒薬をはじめ多くの医薬品の知識を得たと、考えられています。
1915年頃、アガサ・クリスティは第一作となる『スタイルズ荘の怪事件』を三週間で仕上げています。が、たいていの出版社では、相手にしてもらえなかった。そのために『スタイルズ荘の怪事件』の出版は、1920年まで待たなければなりませんでした。

「それはともかく、わたしはベルギー人の探偵にきめていた。」

『アガサ・クリスティ自伝』には、そのように書いています。1915年頃、アガサの自宅近くに、イギリスに移民したベルギー人の集団が住んでいた。その中のひとりが、エルキュール・ポアロのモデルになっているのでしょう。

「とにかく、われわれとは住む世界の違う人間だ。黒い濃い顎髭をもじゃもじゃはやして、晴れても降ってもエナメル革のブーツをはいているんだ。」

1920年の『スタイルズ荘の怪事件』の中で、ジョンにそのように言わせています。もちろん、エルキュール・ポアロの、はじめての紹介として。
ポアロの最初は、「顎髭」だったんですね。後に「口髭」に変更されているのですが。
アガサ・クリスティに触発されたミステリのひとつに『刑事たちの三日間』があります。2012年に、アレックス・グレシアンが発表した物語。ただし、物語の背景は、1889年の倫敦に置かれています。1889年は、アガサが生まれる前の年なのですが。
『刑事たちの三日間』の扉には、このように文言が刻まれています。

クリスティーへ
さあ、存分に矛盾点を探してくれたまえ

ここでの「クリスティー」は、たぶんアガサのことでしょう。
また、『刑事たちの三日間』には、こんな描写も。

「それは見事な仕立ての黒スーツに、藍緑色のクラバットとおそろいのポケットチーフがアクセントといういでたち。」

これは、ジェフリー・シンダーハウスの着こなし。ジェフリー・シンダーハウスは、テイラーという設定でから、「見事な仕立て」も当然のことでしょう。
十九世紀の英國では、意外にも「クラヴァット」のクラヴァットの言葉がよく用いられたものです。
でも、クラヴァットとポケット・ハンカチーフを揃えるのが「見事」だったかどうかは、よく知りませんがね。

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