プルーストで、作家でといえば、マルセル・プルーストですよね。
マルセル・プルーストは、1871年7月10日、巴里に生まれています。
マルセル・プルーストの代表作が、『失われた時を求めて』であるのは、いうまでもないでしょう。
物語の語り手が、紅茶にマドレエヌを浸した瞬間に、過去の記憶が蘇るという設定になっています。珈琲ではなく「紅茶」なんですね。ちょっと上流意識ということなのでしょうか。
イギリスにも似たようなことはあって。英國の上流階級ではなぜか珈琲を飲むことがあったりするものであります。
『失われた時を求めて』には、モオドの場面が少なくありません。そしてまた、美食場面も。たとえば。
「フォワ・グラでさえ、ふだんこの名前にて供される味気なきムースとは雲泥の差。」
ここからはじまって、延々と美食が語られるのですね。
では、プルースト自身の食事はどうだったのか。プルーストはやや極端なほどに少食だったらしい。卵のクリイム添えだとか、ロースト・チキンなどを少量召しあがったという。
時には客を食事に招いて、友人が食べているのを、ただ眺めているだけのこともあったとか。
プルーストの朝食は、珈琲二杯と、クロワッサンひとつ。その珈琲豆は、巴里の「コルスレ」のものだけを。
それをうんと細かく挽いてもらって。その上から一滴一滴湯を落としたので、淹れるのにずいぶん時間がかかったそうです。もちろん、カフェ・オ・レで。
朝食用の食器にはそれぞれ、プルースト家の紋章が刻まれていたという。
マルセル・プルーストを意識していた作家に、トルーマン・カポーティがいます。
カポーティが最晩年に発表した小説に、『叶えられた祈り』が。これはプルーストの『失われた時を求めて』の影響下に書かれた物語なんだそうです。偶然の一致というべきか、
『叶えられた祈り』も、『失われた時を求めて』も、未完に終っています。
カポーティの『叶えられた祈り』の中に。
「私はそこでジャン・コクトーに会った。ボタンの穴にスズランの小枝をさしこんだこの詩人はまるで歩くレーザー光線だった。」
このように書いています。「そこで」とは、カポーティの友人でもあった「ボーティ」の自宅でのこと。
1960年代、カポーティが会った時の、コクトオはスズランのブートニエールを挿していたものと思われます。
どなたかスズランのブートニエールが似合いそうなスーツを仕立てて頂けませんでしょうか。