羽織は、和風の上っ張りのことですよね。その意味では西洋のカーディガンにも似ているのかも知れませんが。
江戸時代には、「羽織藝者」の言い方があったんだそうです。深川藝者のことを、羽織藝者。もともとは男の装いとされていた羽織を、いち早く深川藝者が着たので、「羽織藝者」。
深川藝者のことを、「辰巳藝者」とも。深川は江戸城から見て、辰巳の方向にあったので、
「辰巳藝者」。
羽織藝者。言うは易きことですが。その時代の常識からすれば、明らかに「男装」であって、勇気ある、思い切った着こなしでもあったのですね。
今、女性の羽織も珍しいことではありません。が、そもそもは深川藝者新工夫にはじまっているわけです。
江戸期の言葉に、「羽織の紐」というのがあったらしい。その意味は、「胸に秘めております」。たしかに羽織の紐は、「胸」に結んでいますからね。
羽織が出てくる小説に、『當世書生氣質』があります。明治十九年に、坪内逍遥が発表した物語。
「………倉瀬さんとおっしゃるお方が、同じ御紋の附いたお羽織を召して……………………。」
坪内逍遥の『當世書生氣質』には、当然のことながら、服装描写が多く描かれるのですが。逍遥はここで服装描写のみならず、「服飾評論」をも行っています。
「………衣服は見る人の心を動かし注意を牽くための者にあらで、むしろ見る人の心持をば、不快になさざらんがための者なり。」
このようにはじまって、延々と逍遥の自説を繰り広げているのです。結論めいたことを申しますと。「華美は仇」ということになるでしょうか。そのひとつひとつ、逍遥の強調する通りと、納得するのですが。
逍遥の『當世書生氣質』の中に、こんな文章も出てきます。
「今脱捨てたといふ銘仙の半纏、衣架の片隅にぶらさがれり。」
半纏はは羽織に似て非なるものであります。「うんとくだけた羽織」といえば、やや近いでしょうか。
「印半纏」なんて言うではありませんか。羽織にはあるところの紐さえありません。ただ羽織るだけの気楽さ。それでいて「印」にもなり、暖かく、仕事の邪魔にもならない良さがあります。
「………これを看ろと縫詰めし絆纏のい組とあるを自慢顔なり。」
明治二十八年に、斎藤緑雨が書いた『門三味線』にも、そのように出てきます。半纏がお揃いになるのも当然でしょう。
どなたか絹地で、現代ふうの半纏を仕立てて頂けませんでしょうか。