ホテルの歴史は、ホスピタルと関係があるんだそうですね。
まあ、いささかこじつけますと。身体の傷にふさわしいのが、ホスピタル。心の傷にふさわしいのが、ホテルなんでしょうか。
ホテルの部屋は密室可能で。誰に会うことなく一日を過ごせる場所でもあります。
ホテルを自宅代りに住んだお方が、藤原義江。晩年の藤原義江は「帝国ホテル」に暮したものです。
藤原義江は食通でもあって。帝国ホテルでの食事にも、一家言あったことでしょう。ホテルに限ったことではありませんが。時と場合によって、通人のひと言で、サーヴィスの質がさらによくなったりするものであります。
お国の命令でのホテル暮し。
2016年に、エイモア・トールズが発表した小説『モスクワの伯爵』がまさにそれなのですね。
時代は1922年のモスクワ。
主人公は、アレクサンドル・イリイチ・ロストフ伯爵。
『モスクワの伯爵』は、1922年6月21日に幕が開きます。帝政ロシアの時代は終り、貴族は粛正される。多くは、銃殺。
ロストフ伯爵のほんとうなら銃殺されるところを免れて、ホテルに軟禁ということに。
ホテルの名前は、「メトロポール」。ロストフ伯爵はつい昨日まで、「メトロポール・ホテル」の、スイートの住んだいたのですが。裁判の結果、今日からは屋根裏部屋に。ただしホテル内であれば自由に生活も。
ロストフ伯爵が愉しみとしたのが、ホテル内レストランでの食事。レストランの名前は、
「ボヤルスキー」。1912年に、エミール・ジュコフスキーが総料理長として招かれた以来の、名店。
「パルマ産プロシュートの代わりにウクライナのハーブを薄く削いだ。」
これは「サルティンボッカを、どうやって再現するかの腕の見せどころとして。
その秘密のハーブを、ロストフ伯爵は言い当てる。「ネトルではないか」と。
やがて、エミールが席にやって来て。「ブラボー、ロストフ伯爵!」。ネトルで、正解だったので。
1922年6月21日の裁判に、時を巻き戻しますと。
「それほどたくさんのボタンで飾られた上着は見たことがない。」
これは検察官、ヴィシンスキーの、ロストフ伯爵に対する言葉。
これに対して、ロストフ伯爵はひと言「ありがとう」。すると、ヴィシンスキー検察官は、
「なにも褒めたわけではない」と。これに対して、ロストフ伯爵は、言う。
「侮辱なら、決闘を申し込む。」
ボタンの数でいちいち決闘はしていられませんが。
時代は1922年で、法廷ですから。ダブル前のテン・ボタンズだったと思われます。
どなたか両前の、十個ボタンの上着を仕立てて頂けませんでしょうか。