マックスとマスクラット

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マックスは、人の名前ですよね。たいていは男の人の名前。
マックスの名前で呼ばれる人は、そう珍しいものではありません。
マックス・ウェーバーだとか、マックス・エルンストだとか。
そしてもうひとりのマックスに、マックス・ブロートがいます。マックス・ブロートは、
プラハに生まれた文学者。そして、カフカと親友だった人物。
マックス・ブロートは1884年に生まれ、1968年に世を去った作家です。
マックス・ブロートがカフカにはじめて会ったのは、1902年10月29日のことと記録されています。すぐに意気投合して、1924年にカフカが天に召されるまで続いたのです。

「彼の生涯のモットーは、一歩退いていること ー 目立たないこと、であった。なにごとにも目立たないのが、彼の振舞いだったし、めったにその低い声を強めることはなかった……………」。

マックス・ブロートは、『個性のこと』という文章の中で、そんなふうに書いています。
「彼」がカフカを指しているのは言うまでもないでしょう。
1923年の夏、カフカに出会ったのが、ドーラ・ディアマント。ドーラはその時、十九歳だったのですが。
ある時、ドーラとカフカがふたりで、ベルリンの「シュテーグリッツ公園」で散歩していると。小さな女の子が泣いている。カフカが「どうしたの?」と訊くと。
「お人形をなくしたの」。
それで、カフカは言った。

「君のお人形は、ちょっと旅に出ただけなんだ」

それでも女の子は泣きやまない。カフカは重ねて、こうも言った。

「お人形はね、おじさんに旅先から手紙をくれたよ。今度見せるね。」

これで女の子は泣きやんだ。
それから三週間の間、カフカは「お人形」の手紙を書いて、女の子に渡したという。
これはドーラ・ディアマントの、『フランツ・カフカとの生活』に出ている話なのですが。
結局、最後は。お人形は結婚して女の子とは会えない、ということになったんだそうですが。
マックスならぬ「マックスウェル」が出てくるミステリに、『フレンチ警部とチェインの謎』があります。1926年に、F・W・クロフツが発表した物語。1926年は、カフカ没後二年のことなのですね。

「マックスウェル・チェインは一八九一年に生まれた。」

マックスウェル・チェインは、英國の退役海軍軍人と設定されています。
『フレンチ警部とチェインの謎』を読んでいると。

「そうです。ジャコウネズミの毛皮の」

という会話が出てきます。これは、ミス・メルリという女性のコートについて。
ジャコウネズミは、「マクスラット』m uskr at のこと。その毛皮は、毛足が長く、光沢に富んでいます。
どなたかマスクラットの毛皮襟の外套を仕立てて頂けませんでしょうか。

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