ショウペハウアーとシャルムーズ

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ショウペンハウアーは、ドイツの哲学者ですよね。哲学者にはありがちのことかも知れませんが。アルトゥール・ショウペンハウアーもまた奇人と言える人物だったという。
1819年に、ショウペンハウアーは、戀人と二人でヴェニスに旅しています。
ちょうどそのころ、ヴェニスには詩人で、ハンサムのバイロンが滞在していて。ショウペンハウアーは、ゲエテに書いてもらった、バイロン宛の紹介状を懐中に入れていたのです。
ある日、ショウペンハウアーが戀人と一緒にヴェニスの街を歩いていると。一台の馬車が通りかかって。と、ショウペンハウアーの女友達は。

「見てよ。あれがイギリスの詩人よ!」

そう叫んだ。
ショウペンハウアーはなぜかバイロンを訪問する気が消えてしまったそうですね。
そのゲエテの話なのですが。ドイツの町で、ゲエテとショウペンハウアーの一家が出会った。ゲエテは多少リップサーヴィスのつもりもあったのでしょう。

「息子さんはやがて有名になりますねえ。」

このゲエテのひと言で、母のヨハンナの顔色が変った。当時、ヨハンナは作家として名の知られる存在だったし。また、一家に二人の天才があらわれることはないと、信じていたので。以来、ヨハンナはゲエテと口をきくことがなかったという。

「……………だから読書の際には、ものを考える苦労はほとんどない。自分で思索する仕事をやめて読書に移る時、ほっとした気持になるのも、そのためである。」

ショウペンハウアーが、1851年に発表した『読書について』のなかに、そのように書いています。
つまり、それほど熱心にショウペンハウアーは熱中して思索した、ということなのでしょうね。
ショウペハウアーが世を去ったのは、1860年9月21日のこと。72歳でありました。
この時、一通の遺書が。それは愛犬「アートマン」の面倒をみてもらうために。もし、
アートマンを引き取ってくれたなら、「200グルデン贈呈」と書いてあったそうですね。
ショウペンハウアーが出てくる小説に、『橋』があります。昭和二年に、池谷信三郎が発表した物語。

女を一番愛した男は? ショウペンハウエル。

そんなふうに出ています。
その少し後に。こんな描写も出てきます。

「中には彼ともう一人女優のやうに華手なシヤルムーズ を着た女が坐つてゐた。」

これは馬車の中の様子として。
シャルムーズ char m e us e はサテンに似てサテンより薄い絹地のこと。
フランス語の「シャルム」ch arm e と何か関係があるのでしょう。シャルムはもちろん、
英語の「チャーム」に相当する言葉ですね。
どなたかシャルムーズでヴェストを仕立てて頂けませんでしょうか。

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