フランスとブランメル

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フランスは、ヨオロッパの大国ですよね。フランスと日本も、そのおつきあいの歴史も古いようです。
たとえば明治のはじめ、新政府の軍隊はフランス士官によって教育されています。つまり、はじめはフランス式に倣うことから、訓練がはじまっているのです。
たとえば、ルイ・クレットマン。このクレットマンもまた、フランスの士官でありました。
明治九年に、日本に。
ルイ・クレットマンは、1851年、フランスのストラスブールに生まれています。つまり、ルイ・クレットマンは、二十五歳位で、来日しているわけですね。
ルイ・クレットマンは、日本滞在中、克明な日記を遺しています。『クレットマン日記』。
日本語訳は、松崎碩子。『クレットマン日記』によりますと。
ルイ・クレットマンは、1876年2月7日に、横濱に到着。マルセイユの港を出たのが、
1875年12月16日。これは途中、エジプトなどを見学しているからでしょう。

「………各地区にとてもエレガントな交番がある。警官はアメリカ風の制服を着ている。つまり、青いワッペンの付いたケピ帽、黄色の折り返し……………。」

今、明治九年頃の日本の警官の様子を、フランス人のルイ・クレットマンに教えてもらったところです。
ルイ・クレットマンの来日から数えて、ざっと百年後に、パリを訪れた日本人に、大岡昇平がいます。大岡昇平は、フランス文学者でしたから、パリ訪問は当然のことでもあったでしょう。

「橋を渡ったところに、カフェが店を開けかけているので、コーヒーとコニャックを飲みながら、時間をつぶす。」

大岡昇平著『パリ日記』に、そのように書いてあります。
これは「ルーヴル美術館」の近くで。大岡昇平は9時の開館と思って出かけたら、10時だったので。
それにしても、「コーヒーにコニャック」は優雅ですね。これはたぶん混ぜないで、交互にに口に運んだのでしょう。
大岡昇平は、スタンダール研究家でもありましたから。「1830年頃のパリ」に、もっとも興味がある。そうも書いてあります。
1830年に、メリメが発表した短篇に、『エトルリアの壺』があるのは、ご存じの通り。この中に。

「この男はアドニスのような美男で、ブラムメル風にネクタイを結んでいたのさ。」

そんな会話が出てきます。たぶん、イギリスの洒落者、ボオ・ブランメルのことでしょう。
「ブラムメル風にネクタイ」。これは時代背景が1820年代ですから、当然、クラヴァット 。ごく簡単に言って、頸に高く高く、クラヴァット を巻いていたものと思われます。
ボオ・ブランメルはより凝った結び方を好んで。そのために、モスリン地に軽く糊つけを。クラヴァット に糊を施した最初の男もまた、ボオ・ブランメルだったのです。
どなたかボオ
ブランメルに負けない魅力のネクタイを作って頂けませんでしょうか。

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