ニューズペイパーは、新聞のことですよね。新聞とカフェ。これもまんざら無関係ではないらしい。
十八世紀からのヨオロッパは、「新聞の時代」でもあったんだそうですね。数多くの新聞が発行されて。そのどれもが面白くて、面白くて。
でも、全部の新聞に目を通すにも無理がありまして、カフェ。その時代のヨオロッパのカフェには、ありとあらゆる新聞が置いてあって、自由に読めたんですね。
つまり、ある人にとってのカフェは、珈琲よりも新聞がお目当てだったこともあるらしい。
また、時と場合によってはカフェが取材元でも。カフェに専用の箱が置いてあって、投稿ができた。この投稿をもとに記事が作られてことも。そりゃ、面白いはずですよね。
一般に日本での新聞のはじまりは、『バタビア新聞』だと言われています。文久二年と言いますから、古い。西暦の1862年のことですからね。ただし『バタビア新聞』は、翻訳新聞だったのです。オランダの『ヤバッシュ・クーラント』を日本語に訳したものだった。
「カプレラにてはガリバルヂを訪へる人聚りて一隊を成し、之れを警固せり。」
1862年8月3日の『バタビア新聞』には、そんな記事が出ています。
1862年のガリバルディは英雄で、見物客が引きもきらない。警護が必要との記事なのです。1862年には、ガリバルディはご存命でしたから。
「もし、實業の方が駄目なら、どつか新聞へでも這入らうかと思ふ。」
夏目漱石が、明治四十二年に発表した小説『それから』の一節。
これは「平岡」に対しての「代助」の言葉として。ここでの「實業」は、一般の会社を指しています。つまり「会社がだめなら、新聞社でも」の意味なのです。まあ、それもこれも「時代」というものなのでしょうね。
『新聞』と題につく短篇があります。1935年に、T・S・ストリブリングが発表した物語。
T・S・ストリブリングは、「ポジオリ教授」が活躍するミステリで、人気を博した作家であります。
T・S・ストリブリングの短篇『新聞』を読んでおりますと。
「真新しいスーツを着て、帽子も靴も何のかも新品を身につけていますから ー そちらにいればすぐにわかるはずです。」
これは「サンチェス博士」という人物についての説明。
たしかに上から下まで「ニュウ」なら、目立つでしょうね。
以前、西新橋に「ニュウ!」という紳士服店がありました。よく「アトキンソンズ」のネクタイを買いに行ったものです。
新品のスーツをさりげなく着こなしたいものですね。
どなたかカフェで新聞を拡げて様になるスーツを仕立てて頂けませんでしょうか。