シルクとシャツ

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シルクは、絹のことですよね。s ilk と書いて、「シルク」と訓むわけです。
英語のシルクも古い言葉で、もともとは古代プロシア語の「シルカス」s ilk as と関係があるのではとも、考えられているらしい。

水縹の 絹の帶を
引帶なす 韓帶に取らし
海神の 殿の甍に

『萬葉集』に、そんな歌が出ています。少なくとも萬葉集の時代に「絹の帶」があったことが窺えるものでしょう。
この歌での「水縹」は、「みはなだ」と訓むんだそうです。今の時代なら、ライト・ブルウに近いものでしょうか。
どうして絹の帯がよいのか。かなり技巧的な結び方をしたとしても、解けにくい。これは今のネクタイについても似たようなことが言えるでしょう。
絹は何も帯ばかりではなくて、その応用範囲には広いものがあります。

「やがて二ツ折にした絹綾の座布団と、脇息を捧げた御女中を先導に、紀州徳川家十世治宝公が出御になると……………。」

有吉佐和子の小説『助左衛門四代記』に、そんな文章が出てきます。有吉佐和子は、和歌山のご出身ですから、『助左衛門四代記』は、 書くべくして書いた物語なのでしょう。ひと言で申して、力作であります。
江戸時代の殿様がお使いになるお座布団ですから、「絹綾」も当然かと。これまた、絹の着物で座っても、滑りにくいのです。
「脇息」は、昔の移動式「肘掛け」。この表にも絹が張ってあったに違いありません。

絹が出てくる小説に、『サンクチュアリ』があります。ウィリアム・フォークナーが、1931年に発表した長篇。ただし、執筆そのものは1929年のこと。また、時代背景も1929年に置かれています。

「女はグレイの絹の服を着ていた。手で巧みに縫われて丹念にブラシもかかった服だが……………。」

フォークナーは『サンクチュアリ』の文中に、そのように書いています。そして、さらに。フォークナーの眼は繊細で。「アイロン跡」が微かに光っているともつけ加えています。絹は、高温には弱いので。絹にアイロンを掛けるには、絹の適温にして、「当て布」を忘れてはなりません。『サンクチュアリ』も妙なところで、おしゃれの勉強ができるものです。

「………洒落たワイシャツやカラー をつけた町の人間が……………。」

当時のことではありますが、『サンクチュアリ』には、繰り返し「シャツ」の話が出てきます。文中、「ワイシャツやカラー 」とあるのは、「付け襟式」を意味しているのです。1929年のアメリカではデタッチト・カラアが主流だったものと思われます。

「健三はさつさと頭から白襯衣を被つて洋服に着替えたなり……………。」

大正四年に、夏目漱石が発表した『道草』に、そんな一節が出てきます。漱石は、「白襯衣」と書いて、「シヤツ」のルビを振ってあります。大正四年は、西暦の1915年で、『サンクチュアリ』より前の時代ということになります。
「被つて」は大切なところで、当時はまだプル・オーヴァー式のシャツがほとんどだったからです。
どなたかプル・オーヴァー式のシャツを仕立てて頂けませんでしょうか。

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