スパイとスペンサー

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スパイは、密偵のことですよね。もう少し古いところでは、「間諜」でしょうか。
昔、ディートリッヒが出た映画に、『間諜X27』がありました。1931年のアメリカ映画。原題は、『ディッショナード』。これでは分かりにくいというので、『間諜X27』の邦題になったのでしょう。「ディッショナード」そのものは、「恥辱」の意味だったらしいのですが。
もちろん、マルレエネ・ディートリッヒが、「X27」と呼ばれる間諜に扮する映画だったのですが。

スパイが出てくる小説に、『上海』があります。横光利一が、昭和七年に発表した物語。
横光利一は昭和三年に、ひと月ほど上海に旅していて、おそらくはその時の体験をもとに仕上げた創作なのでしょう。
昭和三年に、横光利一はどうして上海に行ったのか。横光利一は、芥川龍之介に強く、上海行きを勧められたからだと、伝えられています。それくらい当時の上海は興味深い場所だったのでしょう。

「………昨夜は何でも、芳秋蘭がスパイの嫌疑で仲間から銃殺されたとか、されかけたと云うんだが……………。」

これは巷の噂としての話なのですが。
「マタ・ハリ」の一例はよく知られているところでしょう。もともとは美貌のダンサー。そのマタ・ハリが第一大戦中、巴里でスパイだったという話が遺っています。美人はスパイとして疑われにくいからなんでしょうかか。

密偵について詳しく調べたお方に、宮武外骨がいます。
宮武外骨は、ペンネイム。本名、宮武亀四郎。1867年2月2日、讃岐に生まれています。
宮武外骨は、ひと言で申して、「畸人作家」。
『明治密偵史』での名前は、「廃姓外骨」になっています。つまり、姓名をやめた外骨の意味なのでしょう。

「人類が社会を形成して後、闘争が起った際、甲団が乙団の動静を探り……………。l

宮武外骨はこのように書きはじめて、延々と密偵の歴史を述べています。ただし、原文は旧漢字、旧仮名。引用に際して、現代風にあらためたこと、お断り申し上げます。
つまり、宮武外骨の説によりますと、人間がある限り、スパイは消えることがないのだ、と。

スパイが出てくるフランスの小説に、『従妹ベット』があります。1846年に、フランスの作家、バルザックが書いた物語。

「………あのパリ女のおそるべき理知に示唆されて、敵のスパイを共犯者に変える手を思いついた。」

1840年代のパリにもスパイらしき存在はあったのでしょう。
同じくバルザックが、同じ年に発表した物語に、『従兄ポンス』があります。この中に。

「………男性用スペンサーの流行は、イギリス人の発明にかかるとは申せ、フランスではほんの一時的な成功を収めたにすぎなかった。」

そんな文章が出てきます。バルザックは、このページで長々と、「スペンサー」を論じているのでです。
スペンサー sp enc er は後ろの尻尾のないフロック・コートのことです。
1795年頃の英國に登場。第二代スペンサー伯爵の考案だと、伝えられています。
どなたか完璧なスペンサーを仕立てて頂けませんでしょうか。

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