エピソオドは、挿話のことですよね。また、「逸話」の意味にも使われることがあるらしい。
逸話であれ、挿話であれ、少なくとも興味ある話といっても間違いではないでしょう。思わず聞きたくなってしまう話のこと。
「今君の留守中に君の逸話を殘らず聞いて仕舞つたぜ」
夏目漱石の『吾輩は猫である』に、そんな会話が出てきます。これは「迷亭」が、「主人」に対しての科白として。
「主人」が漱石自身であるのは、いうまでもないでしょう。「迷亭」のモデルにはいろんな説があるようですが。
「迷亭」は漱石の留守中に、奥様から様々な話を聞かされて。たとえばジャムを「八罐」食べたとか、月に。明治期のジャムは多く罐入りだったのでしょう。でも、月に八罐は少し多いのかも知れませんが。もちろん漱石ひとりではなく、子供が食べた分も含めてのことなのですが。
「ジャム八罐」。たしかに漱石ファンにとっては「逸話」のひとつになるのでしょう。
逸話といえばいいのか、挿話といえばいいのか。丸谷才一。この方のお書きになるものは、エピソオド満載という感じがありましたね。たぶん全身にエピソオドが満ち満ちていたものと思われます。
丸谷才一はエピソオド満載のお方ですから、当時のようにスピーチの名人でもありました。なにかの会合があって。もし丸谷才一にスピーチがお願いできたなら、もうそれだけで会合の成功は間違いなしだったものです。
丸谷才一には多くの「スピーチ集」があります。これもたいへんなことでしょう。その場のスピーチが受けに受けて、しかも本にまとめられて、抱腹絶倒。こんな例は滅多にありませんからね。
「瞳さんは「吉行のいない銀座なんて」といふ題をつけたのに、そのゲラが来ると、「あとがき」だつたか、ごく普通の、ありきたりの題に直してあつたのださうです。」
丸谷才一著『あいさつは一仕事』に出ている話。
2006年7月25日。帝国ホテルで行われた「吉行淳之介十三回忌」での、丸谷才一のスピーチ。
ここに、「瞳さん」とあるのが、山口 瞳であるのは、いうまでもないでしょう。
ある時、山口 瞳は、吉行淳之介との対談集を出すことになって、あとがきを求められて。そのあとがきの題を、「吉行のいない銀座なんて」と、した。それが……………。
この話の面白さはやはりエピソオドによるものでしょう。私はこんな話なら何回でも聞きたいものです。
でも、それは山口 瞳から直接聞き出すことのできた丸谷才一の交際上手にあるわけで、貴重品というべきでしょう。まさに「あいさつは一仕事」。
同じく『あいさつは一仕事』に出ているのですが。
ある時、丸谷才一は、山口 瞳の長篇小説の推薦文を書くことになって。
「よほど私小説に義理がある人に相違ないと思つて、感心したり呆れたりした」
そのように。と、これを読んだ山口 瞳がお気に召して。いろんなところ、いろんな人に吹聴したそうです。これまた、貴重なエピソオドでしょう。
エピソオドが出てくる小説に、『タイガーズ・ワイフ』があります。2011に、ベオグラード出身の、テア・オブレヒトが発表した物語。
「もう一つは、例によって医学にまつわるエピソードだった。」
主人公の女性が若い時、祖父から聞かされた話として。また、『タイガーズ・ワイフ』には、こんな描写も出てきます。
「わたしはラッカー塗りの靴とベルベットのワンピースという格好だった。」
やはりおじいちゃんに連れられて動物園に行く時の様子として。ここでの「ラッカー塗り」は、エナメルのことかと思われます。
たとえば、「エナメル・レザー」だとか。
「悦子はそれが上質のエナメル革の、餘所行き用の立派な靴であつただけに……………。」
谷崎潤一郎の名著『細雪』にも、「エナメル革」が出てきます。
エナメルは、光沢の美しい革のことです。いや、革とは限らず、金属の上にも。いわゆる「琺瑯」がそれです。琺瑯のケットルなどもよくみるものでしょう。琺瑯は金属にエナメル質をかけたもの。ごく簡単に申しますと、「ガラス質」なのです。
紳士靴でも、正装にはエナメル・シューズが欠かせないもの。舞踏の際に、相手のドレスの裾を靴墨で汚さないために。
どなたか真っ当なエナメル・シューズを作って頂けませんでしょうか。