天才とテニス・シューズ

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天才は、天が与えた才能の持ち主のことですよね。天才はまた「神童」と呼ばれることもあります。ここでもやはり「神の子」という意味が含まれていますが。
天才。ここでのダジャレは不謹慎でしょうか。。

「天災は忘れたころにやって来る」

これは物理学者の、寺田寅彦の言葉なんだそうですね。この寺田寅彦の言葉を、中谷宇吉郎が、『一日一訓』に引用したので、世に広まったんだそうですね。
「天災は忘れたころにやって来る」。これと同じように、「天才は忘れたころにやって来る」。そうも言えるのではないでしょうか。
天才はなかなかそう居るものではありません。でも、いつの日にか、きっとやって来るものなのでしょう。
誰もが天才と認めざるを得ない人物に、モオツアルトがいます。とにかく三歳で和音を弾いたというのですから、天才以外の何者でもないでしょう。
ヴォルフガング・アマデウス・モオツアルトのお父さん、レオポルト・モオツアルトもまた、音楽家でありました。
レオポルト・モオツアルトは1770年に『ヴァイオリン教程』を出版しています。この序文に、次のような一節があるのです。

「………この子が音楽の知識全般にわたって遂げた信じられないほどすばやい進歩を、詳細にお話しすることもできるでしょう。」

幼い頃からモオツアルトの耳が特に優れていたことは間違いないでしょう。一度聴いた音符は、すぐに再生することができたそうですから。

「モーツァルトにとって、一曲のメヌエットを覚えるのには三十分もあればよく、もっと長い曲でもまず一時間とはかからなかった。」

フランスの作家、スタンダールは『モーツァルト』の中で、そんなふうに書いています。スタンダールもまた天才だったのでしょうが、そのスタンダールがモオツアルトを天才と認めているわけですね。
天才が出てくる小説に、『美わしきフェルミナ』があります。1910年に、フランスの作家、ヴァレリイ・ラルボーが発表した物語。
余談ではありますが、コレットはこの『美わしきフェルミナ』を、「現代フランス小説十選」の一作として、選んでいます。

「だがここに再び、きけいを用いて、自分の天才の《証拠》と称するものを提出したのだった。」

これは「マルケス」という人物について。
また、『美わしきフェルミナ』には、こんな描写も出てきます。

「私達はラケットやテニス靴を注文した。それは非常に楽しいことだった。」

これは「サントス」と「ドゥモワゼル」とがテニスをはじめる場面なんですね。
1910年代のテニス・シューズは、キャンバスのアッパー、ラバー・ソールのオックスフォード・シューズでした。
また、ポインテッド・トゥ。今のテニス・シューズと異なって、靴の先端が細くなっていたのです。
それはともかく、もともとテニス専用だったものが一般的になって、それもしばらくの間は、「テニス・シューズ」と呼ばれたものです。
どなたか1910年代のテニス・シューズを再生して頂けませんでしょうか。

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