オランダとオックスフォード・バッグズ

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オランダは、国の名前ですよね。英語では、「ダッチ」でしょうか。「ダッチ・アカウント」の言葉もあるでしょう。
あるいはまた、「ダッチ・バーゲン」。これは一杯傾けながらの商談のことなんだそうですね。

1921年に日本にやって着たオランダ人に、クペールスがいます。オランダの作家、ルイ・クペールス。クペールスは1925年に、紀行文『オランダの文豪が見た大正の日本』を発表しています。

「………日本男児が、大のお気に入りのフロックコートを着た時には、シルクハットは誇らしげに高々とかぶっても、扇子は持たないのだ………」

クペールスはそんな観察もしています。少なくとも1921年頃の日本でのフロック・コートの流行ぶりが窺えるものでしょう。

1931年に、オランダを旅した作家に、チャペックがいます。チェコに生まれた作家、カレル・チャペック。カレル・チャペックはその時の印象を『オランダ絵図』に書き遺しています。

「これは自転車に乗っている国民だ。」

カレル・チャペックはオランダ、ハーグの街を見て、そんな感想を述べています。自転車、自転車、自転車。ハーグの人々は何をするにも自転車の上だと。

オランダが出てくる小説に、『ピンフォードの試練』があります。1957年に、英国の作家、イーヴリン・ウォーが発表した物語。

「………どことなく金持ちらしい夫婦で、オランダ人か、スカンディナヴィア人か、とにかく英国人ではないようだった。」

これは客船ないでの、ふと見かけた人物の様子について。
また、『ピンフォードの試練』には、こんな描写も出てきます。

「船客の中の若いビルマ人たちは揃ってブレザー・コートに薄い茶色のズボンをはき………」

このライト・ブラウンのトラウザーズ。私は勝手に、オックスフォード・バッグズを想像してしまいました。
1925年頃、英国のオックスフォード大学で、突然に流行した幅広ズボンのこと。
実はゴルフズボンの上に重ね穿きのできる工夫にはじまっているのですが。
どなたか現代に通用するオックスフォード・バッグズを仕立てて頂けませんでしょうか。

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