スフィンクスとスペンサー

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スフィンクスは、古代エジプトの遺物のひとつですよね。スフィンクスはまた「謎」の象徴にもなっています。
明治期の日本人で、スフィンクスを見学したお方に、伊東忠太がいます。伊東忠太は明治時代に活躍した建築家。また、建築史家でもあった人物。
伊東忠太は東大に学び、東大の教授でもありました。この建築史の研究のために、明治三十八年から、中国を旅しています。
中国から、インド、トルコ。さらには、エジプトにも足を伸ばしているのです。

「其の証拠はピラミッドの下にあるスフィンクスである。これは人頭獅身の形で、前足を揃えて前へ投げ出し、腹を地につけて坐っているのだが、天然の岩から彫り崩したもので、なかなかよく出来ている。」

伊東忠太の紀行文『埃及旅行茶話』に、そのように書いてあります。
「天然の岩」云々は、実際に見ないとわからないことかも知れませんが。

スフィンクスが出てくる小説に、『深紅のカーテン』があります。1874年に、フランスの作家、バルベイ=ドールヴィリーが発表した物語。

「………まず寝台の四隅にあるスフィンクスの頭に、寝台の四本の足であるライオンの足にに使われ…………

これはとある子爵のベッドを眺めている場面として。
また、『深紅のカーテン』には、こんな描写も出てきます。

「しかもその胴は、緑色の絹製で縁飾りのついた短外套を羽織ったきらきら光る胴部にぴったりつつまれていました………」

これはある男の着こなしとして。日本語訳の「短外套」は、原文では、「スペンサー」spencer となっています。
17 90年頃、英国の「スペンサー伯爵」が考案したので、その名前があります。
スペンサー伯爵は自宅の暖炉の前で本を読んでいて、フロック・コートの後裾を焦がしてしまった。その時、スペンサー伯爵は腰縫目から下を外して、着用。これが後に大流行になったものです。
どなたか現代版のスペンサーを仕立てて頂けませんでしょうか。

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