墨東とボイル

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墨東は、東京の地名にありますよね。ここでの「墨」は隅田川のこと。隅田川の東の地区なので、「墨東」。昔は、サンズイつきの墨東があったのですが、今は「墨東」と書くことが多いようです。
永井荷風の名作に、『墨東綺譚』があるのは、ご存じの通り。昭和十一年『朝日新聞』』夕刊に連載されて、好評。四月から六月にかけて。

「活動写真という言葉のできたのも恐らくはその時分からであろう。」

永井荷風は『墨東綺譚』に、そのように書いています。明治三十年頃の話として。
その頃、神田錦町に、「錦輝館」というのがあって、そこで「活動写真」を観た、と。それは当時のサンフランシスコの町の光景を写したものであったそうですが。
荷風の『墨東綺譚』の人気は、このような故き佳き時代の想い出が出てくるところにもあったのでしょう。
『墨東綺譚』は、文句なしに愉しめます。そして同じように、『作後贅言』も。『作後贅言』は、『墨東綺譚』へのあとがきにも似たものです。これまた、面白い。独立した名随筆としても読めるものであります。
荷風は夏でも熱いコーヒーがお好きだったとか。

「これを以って見れば紅茶珈琲の本来の特性は暖きにあるや明である。」

荷風は『作後贅言』の中に、そのように書いています。
大正時代のはじめ、銀座に「万茶亭」があって。荷風はよくここに通ったのだとか。夏でも熱いコーヒーしか出さなかったので。
カフェで冷たいコーヒーを出すようになったのは、大正末期からではないか、とも。

荷風の『墨東綺譚』を読んでおりますと、こんな描写も出てきます。

「………他の壁には浴衣やボイルの寝間着がぶら下げてある。」

当時はボイルの寝巻きがあったのでしょうか。
ボイルは、「ヴォイル」voil とも書きます。半透明の強撚糸による薄地。
その昔、夏のブラウスなどにもよく用いられた生地です。
どなたかヴォイルのシャツを仕立てて頂けませんでしょうか。

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