アントワーヌとアンコルーレ・ロンド

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アントワーヌは、フランス人の男の人の名前にもありますよね。
アントワーヌで、フランスの飛行士でといえば、サン=テグジュペリでしょうか。
アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリは、1900年6月29日、フランスのリヨンに生まれています。リヨンが絹織物の都であることはいうまでもないでしょう。
飛行士が用意するパラシュートも昔は絹だったものです。それから古い時代の飛行服の頸に巻いたマフラーも白絹だったのは、いうまでもないでしょう。
アントワーヌのお父さんは、シャルル。お母さんの名前は、マリイ。いずれも上流階級の人間でありました。
サン=テグジュペリ家には、リヨンの本宅とは別に、
サン=モーリス=ド=レマンスに城館を持っていました。
少年のアントワーヌは、よくサン=モーリス=ド=レマンスでも遊んだんだそうですね。
このサン=モーリス=ド=レマンスの城館から、六キロ離れた場所に、アンベリュー飛行場があったのです。
アントワーヌには格好の遊び場でもありました。アンベリュー飛行場に遊びに行くので、飛行士とすっかり友達に。それで、飛行機に乗せてもらうことになったのですね。
1912年7月末のことです。
これがアントワーヌがはじめて飛行機に乗った記念すべき日となったのであります。
アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリが特異だったのは、人生の最後まで、飛行士と小説家の両立を兼ねていたことでしょうか。

アントワーヌが出てくる小説に、『優雅なハリネズミ』があります。2006年に、フランスの作家、ミュリエル・バルベリが発表した物語。

「すると、アントワーヌが聞きなれない私の囁きに反応して、不思議そうにこちらを見ました。」

アントワーヌ・パリエールは、サビーヌ・パリエールの息子と設定されています。
また、『優雅なハリネズミ』には、こんな描写も出てきます。

「その下には、栗色のラウンドネックのセーターに、ベージュのズボン。足もとを見ると、黒い革のスリッパを履いて今した。」

これは「オヅ氏」が自宅で料理している場面として。
「ラウンドネック」。丸首。フランス語なら、「アンコルーレ・ロンド」encolure ronde でしょうか。
どなたか白麻のアンコルーレ・ロンドのスェーターを編んで頂けませんでしょうか。

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