葉巻とパナマ

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葉巻は、シガーのことですよね。シガーをうんと小さくすると、シガレットになるのでしょうか。
十九世紀には、葉巻は男にふさわしく、シガレットは女にふさわしい。そんな印象があったらしい
葉巻の目的は、「煙に巻く」ことにあったのではないでしょうか。忍術でいうところの「いんとん術」。つまり煙で本性を隠してしまったのでしょう。
葉巻が出てくる小説に、『鶏』があります。
明治四十二年に、森 鷗外が発表した短編。物語の背景は九州の小倉になっています。

「………半切毛布に包んだ箱を出した。Habana の葉巻である。」

これは物語の主人公、「石田小介」の持ち物。この石田小介に、森 鷗外が投影されているのは、いうまでもないでしょう。
このすぐ後に葉巻の蘊蓄が出てきます。ある小説の中に、富豪が登場。その富豪が並の葉巻を吸っていると、揶揄する場面なんですが。森
鷗外は葉巻にも相当お詳しいお方だったと考えて良いでしょう。

葉巻が様になった日本人に、吉田 茂がいます。たぶんウィンストン・チャーチルの影響もあったのでしょうが。
では、吉田 茂はどこの葉巻がお好きだったのか。

「ヘンリークレーとハバナ産のコロナコロナという葉巻も父のお気に入りでした。」

麻生和子著『父 吉田茂』に、そのように出ています。

「オーデコロンはピノー。」とも。

麻生和子が吉田 茂に近くに行くと、葉巻とオーデコロンの匂いが感じられた。そうも書いています。
昭和三十九年の五月。大磯の自宅で写された吉田
茂の写真があります。着物に袴を着けて、パナマをかぶっています。それは鍔広のオプティモ型で、何ひとつ手を加えないで、頭に載せているのです。
まあ、大人ならではのかぶり方なのでしょう。しかしそれがなんとも着物にマッチしているのです。
どなたか吉田 茂式のパナマを作って頂けませんでしょうか。

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