パパイヤは美味しい果物ですよね。黄金色をしています。ふつうは半分に縦割りして、スプーンですくって食べることが多いようです。
パパイヤは、肉料理との相性も宜しいんだとか。パパイヤには「パパイン」という酵素が含まれていて、肉の繊維を柔らかくしてくれるんだそうです。
パパイヤがお好きだった作家に、島尾敏雄がいます。
「………毎朝の食事に、トーストにハムエッグとコーヒーがつき、そしてパパイヤの大きな一切れがでて、それが私には理想的な朝食のように思えたことが忘れられない。」
島尾敏雄が、昭和三十八年に発表した随筆、『庭植えのパパイヤ』に、そのように書いています。
これは戦後まもなく島尾敏雄がマニラの宿で食べたパパイヤのことです。ところが「理想の朝食」が実現するんですね。
「それが名瀬に住むようになって、私はいまほとんど日毎にパパイヤを食べることができる。」
そのようにも書いています。
島尾敏雄は昭和三十年から、主に奄美大島に住むようになったので。ある時、島尾敏雄が奥様にマニラでの話をすると。畑にパパイヤの種を蒔いて。それが50本ほどパパイヤの木として成長したので。
パパイヤが出てくる随筆に、『銀座細見』があります。昭和のはじめに、安藤更生が発表した物語。昭和のはじめの銀座を識る上では、貴重な書物です。
「今でも、パパイアに、温室葡萄に銀座人士の味覚をそそるのはこの店だ。」
安藤更生は、当時の「千疋屋」について、そのように書いています。関東大震災前の千疋屋は、三階建ての店だったとも書いてあります。そして二階と三階とが、フルーツパーラーになっていたんだそうですね。
『銀座細見』には、帽子屋の話も出てきます。
「銀座で帽子専門の家といえば、ここと二丁目の虎屋だが………」
そんなふうに出ています。「ここと」とあるのは、新橋寄りの「大徳」のこと。大徳は今はありません。が、「虎屋」は、健在。ただし、「トラヤ帽子店」になっているのですが。トラヤ帽子店は銀座の前は神田に本店があったらしい。銀座のトラヤ帽子店は、長く「八橋さん」が社長だった店であります。
「夏になると客の置いて行った古い麦藁帽子を店の前の街路樹の根元へ山のように積み上げて、古物利用家の採るに任せている。」
安藤更生の『銀座細見』には、そのように書いてあります。これは昔の大徳の店先について。
麦藁帽子。でも、大徳は高級店でしたから、たぶんパナマも混じっていたに違いありません。パナマにはパナマの歴史があるんでしょうね。
どなたか昭和はじめのパナマを再現して頂けませんでしょうか。