美食と緋羅紗

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美食は、美味しいものを食べることですよね。美食があるからには、当然、美食家がいます。たとえば、ロオトレックだとか。
あの、フランスの画家、アンリ・トゥールド・ロオトレックのことであります。
ロオトレックはたしかに美食家だったらしい。それというのも、ご自分で包丁を握ったそうですからね。ロオトレックは終生独身で、優雅なアパルトマン住まい。ここに友人を招いては、美食をご馳走したという。
今、『ロートレックの料理法』という本が出ていますから、間違いないでしょう。
ロオトレックは当然のように美酒も大好きで。

「絵を鑑賞するにはカクテルがなくてはならない。」

そんな名言をも遺しています。
ロオトレックは自宅での美食会には、手紙で案内をした。それは美事な手書きの絵入りだったそうですが。せめてその案内状だけでも拝見したいものではありませんか。

たとえば。「アローズ・グリエ・ア・ロゼイユ」。これはニシンの網焼き。「アローズ」は川魚。ロオトレックは、三月に、ロワール河で採れたみごとなアローズを材料にしたんだそうですが。できれば、白子のあるものを。
魚は魚、白子は白子で調理して、最後に魚の腹に白子を戻して、皿に盛ったという。
『ロートレックの料理法』の中で、私にもできそうな献立に、「ソシス・オ・ポンム」があります。つまりは、ソーセージのリンゴ添え。
青リンゴを二つ三つ。これを薄切りに。本には、「一ミリ以下」と書いてありますが。
この薄切りのリンゴをたっぷりのバターで炒めて。ソーセージの下に敷いて、提供。ソーセージもまた別に炒めること言うまでもありません。
一ミリ以下の薄切りリンゴ。ロオトレックはやはり手先が器用だったのでしょう。十九世紀末のロオトレックがスライサーを使ったとも思えませんからね。

美食がさらに高められますと、美食会をつくろうなんてはじまるわけです。おなじ趣味の仲間を何人か集めまして。
谷崎潤一郎が、大正八年に発表した小説に、『美食倶楽部』があります。
谷崎潤一郎御自身、美食家でしたから、小説を書くにも大いに愉しんだことでしょう。

「おい、東京ぢやあとても駄目だ。今夜の夜汽車で京都へ出かけて上七軒町のまる屋へ行かう。さうすりやあ明日の午飯にたらふくすつぽんが喰へるんだ。」

今の時代ならともかく、大正八年頃のことですからね。すっぽんを食べるために、夜汽車で、京都へ。まあ、それが美食家のサガなのでしょう。
鰰が食べたくなると、吹雪の中、秋田までも足を運ぶ。そんな話も谷崎の『美食倶楽部』には出ています。

大正十三年に、谷崎潤一郎が発表した短篇に、『肉塊』があります。この中に。

「庇の長い緋羅紗の帽子を、唇のあたりへ蔭がさすほど深く被つて、小野田撮影所の門をくゞつた。」

これは女優の、グラドレン・マイヤーという人の着こなしとして。
「緋羅紗」。要するに、真紅のウール地の帽子なのでしょう。
どなたか緋羅紗でスーツを仕立てて頂けませんでしょうか。

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