上海とショルダー

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上海は、中国の国際都市ですよね。今の上海は、近代都市の間に、故き佳き都がまだ遺っています。
戦前の上海には、日本人の多く住む町があったという。いや、日本人街だけでなく、イギリス人街も、フランス人街も、ロシア人街も。今の意味とは別に、「国際都市」であったらしい。
フランスのランヴァンも、コティの香水も、なんでも揃っていたそうですね。

大正十五年に、上海に旅した文人に、谷崎潤一郎がいます。谷崎潤一郎に、『上海見聞録』と、『上海交遊録』とがあるのは、そのためなのです。
谷崎潤一郎の『上海見聞録』や『上海交遊録』は、当時の上海を識る上で、貴重な資料と言えるでしょう。
谷崎潤一郎はその時の上海で、紹興酒を愉んだようです。ふだんの谷崎なら、軽く一升の紹興酒はいける。でも、ある時など一升以上もの紹興酒を飲んでしまって。
谷崎潤一郎の『上海見聞録』には、そんな話も出てきます。
谷崎潤一郎は上海では、「一品香ホテル」に泊まっています。ここに客が訪れると、やはり紹興酒でもてなしたそうです。

「四馬路の聚晶館へ行けば、絹ごし豆腐の吸ひ物があり、日本でたかなと呼んでゐる菜ッ葉ばかりの煮つけもある。」

谷崎潤一郎は『上海交遊録』の中に、そのように書いてあります。
毎日毎日、高級料理店ばかり行くのに飽きて、とても観光客が入らないような、場末の食堂まで、くまなく足を運んでいます。
まあ、谷崎ほどの食通なら、あり得ることでしょうね。

昭和十九年に、作家の豊島与志雄が発表した小説に、『秦の憂愁』があります。これは上海が舞台となる小説なのです。
「星野武夫」という主人公が、上海に、「秦啓源」という友人を探しに行く物語。この中に。

「黒い洋服はきっかり体躯についた仕立て方で、襟の折返しの工合か肩の袖付の工合か、それとも淡色の編ネクタイの影響か、へんに伊達好みな気味がある。」

これはやっと会うことができた、「秦啓源」の着こなしについて。
おそらく、ショルダー・ラインがすっきりと収まったシルエットだったものと思われます。
スーツのまず第一に大切なのは、ショルダー・ライン。過不足のない、自然なショルダー・ラインであること。
どなたか美しいショルダー・ラインのスーツを仕立てて頂けませんでしょうか。

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