ハートとハンティング・ブリーチーズ

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ハートは、心のことですよね。heart と書いて「ハート」と訓みます。心臓。
ハートはまた多くたとえとしても用いられる言葉でしょう。「私のハートを盗んだ憎いあいつ」だとか。「パウンドケーキのいちばん美味しいハートの部分」
。そんな言い方もあるでしょう。
また「ハート」で、人の名前もあります。ハーバート・ハート。イギリスの哲学者。ハーバート・ライオネル・アドルファス・ハート。もっともこの場合には、Hart
と書いてくんだそうですが。
ハーバート・ハートは、より正確には「法哲学者」と呼ばれるべきなんだそうですが。また、法律家に哲学を売った男とも。代表作は、『哲学の概念』でしょうか。
ハーバート・ハートは1907年7月18日に、イギリスで生まれています。ユダヤ人の家系に。
ハーバート・ハートは、哲学を学ぶために生まれてきたような人生だったのではないでしょうか。ユダヤ人で、頭脳明晰であったのですから。
少なくとも長くオックスフォード大学の教授の位置にあったのは、間違いありません。
ハーバート・ハートのお母さんは、ローズ、お父さんは、サイモン。ふたりともファッションの仕事でありました。
最初、ロンドンのイースト・エンドで、服装店を開いていたとという。二十世紀はじめ、結婚したばかりにのローズとサイモンは、北イングランドの「ハロゲイト」に移転しています。
ハロゲイトはリゾート地ではあっても、ユダヤ人の多く住む町ではなかったのですが。たぶん一般人中で成功したいと考えていたのでしょう。事実、ふたりの店は成功したようです。
二十世紀はじめのハーバート・ハートの写真を観ると、立派な服装で写されていますから。

1929年10月、ハーバート・ハートは、オックスフォード大学のニュウカレッジの生徒となっています。オックスフォード大学でのハートが考えていたことは、首席。いちばん。首席かノオかしか頭になかったのです。
1930年には司法試験を受けています。その時に、友人のクリス・コックスに宛てた内容。

「木曜日に司法試験を受けました。とても簡単でした。」

やがて、第二次世界大戦がはじまると。ハートは進んで軍隊に入っています。ただし「MI 5」に。MI
5もまた、ハートを優秀であると認めざるを得ませんでしたが。
ただし単に優等生だったわけではなく、ユウモアにも長けていました。
ハートから同僚のところに書類が回ってきて。よく読むと。

「機密書類。独前焼却のこと」

これはハートがMI 5でよく使ったジョークだったという。
当時の英国の難問のひとつに、「エグマニ」がありました。ドイツが開発した特殊暗号製作機。当時のドイツはこのエグマニで秘密の通信を行ったいたのです。
この読解不能と言われたエグマニを解いたひとりが、ハートだったと伝えられています。

ハートが出てくる小説に、『ノー・ネーム』があります。イギリスの作家、ウィルキー・コリンズが、1862年に発表した長篇。

「あの卑怯者の悪党めがあなたのハートにしのび寄って来る前の、家での楽しい日々を思い出してちょうだい。」
これは「ノラ」から、「マグダレン」への言葉として。
また、『ノー・ネーム』には、こんな描写も出てきます

「狩りを快適に、バックラーの丈夫で長持ち半ズボン。」

これはラッグ夫人がカタログを眺めている場面として。原文には、「ハンティング・ブリーチーズ」と出ています。「バックラー」は会社の名前。当時でも、ハンティング・ブリーチーズなどは既製品が少なくなかったのでしょう。
どなたか1860年代の、ハンティング・ブリーチーズ再現して頂けませんでしょうか。

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