ベルギーとベレエ

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ベルギーの都は、ブリュッセルですよね。昔は「白耳義」と書いたらしい。
中世のベルギーは「フランドル」とも呼ばれたという。中世のフランドルは先進国で、新しい繊維、生地などの輸出国であったそうです。
昭和十一年に、ベルギーに旅したお方に、小泉信三がいます。小泉信三は以前、「慶應義塾」の塾長でもあった人物。
小泉信三には紀行文の『ベルギー』があります。その中に。

「ロオマから来たものには涼しい。衣服を合着に改め、夕方外出するときは外套を着、スウェエタアを携えた。」

八月三日のところに、そのように書いています。
また、小泉信三は『ベルギー』の中に、こうも書いているのです。

「人々の男女とも身綺麗で、汚れ、破れたものを見ないことは、彼に勝る。男で帽子を冠るものの多いことも、目についた。」

さぞかしおしゃれな街だったのでしょう。
明治の時代に、ベルギーに留学した人に、小林豊造がいます。ダイヤモンドの研磨を学ぶために。ベルギーは今もダイヤモンドのメッカであります。
小林豊造は、大正六年に、日本で「日本ダイヤモンド株式会社」を興しているのですが。この小林豊造こそ、小林秀雄のお父さんなのです。
そして小林秀雄の実の妹が、高見澤潤子なのです。
小林秀雄と高見澤潤子は、ふたつ違い。高見澤潤子には、『兄 小林秀雄との対話』など、多くの著書があります。

「いいものばかり見なれ、読みなれていると、わるいものがすぐわかるようになるんだ。」

『兄 小林秀雄との対話』の中で、小林秀雄は「読書」について、そのように語っています。
つまり、古典を読めと薦めているのですが。
高見澤潤子のご主人が、高見澤仲太郎。高見澤仲太郎といってもすぐにはぴんとはこないでしょうが。実は、田河水泡の本名なのです。もちろん、あの『のらくろ』の作者であります。
田河水泡、つまり、高見澤仲太郎の実家が、「高見澤メリヤス」。今の言葉なら、「高見澤ニット」だったのです。
高見澤仲太郎のお祖母さんが、高見澤いよ。明治のはじめ、「いよ」が目をつけたのが、メリヤス。これが大いに繁盛して「高見澤メリヤス」になったんだそうですね。

『のらくろ一等卒』の漫画がはじまったのが、昭和七年のこと。その頃の田河水泡の写真を観ていますと、頭に黒いベレエを載せているのです。それも大きく右に傾けて。ベレエだけでなく、帽子は大きく傾けると、美しくなります。
どなたか田河水泡流のベレエを作って頂けませんでしょうか。

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