クラリネットとグログラン

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クラリネットは、楽器のひとつですよね。木管楽器。縦笛でもあります。
昔よく、『鈴懸の道』を聴いたものです。鈴木章治のクラリネットでしたね。
鈴木章治がクラリネットと出会ったのは、戦後間もなくのことだったという。兄の鈴木敏夫が戦場から持ち帰った、軍楽隊のクラリネット。それは「バフェット・クランプトン」製のクラリネットだったそうですが。
もっともお兄さんの敏夫は、ピアノ奏者だったらしい。

クラリネット奏者といえば、リチャード・ストルツマンがいますね。アメリカのクラリネット奏者。1942年7月12日に、ネブラスカ州オマハに生まれています。
リチャード・ストルツマンがはじめて、武満
徹に出会ったのは、1973年の頃だったとか。それまでのストルツマンは主に、ジャズのクラリネット奏者だったのですが。
ストルツマンは武満 徹に出会ってから、多くの音楽的影響を受けたという。
1993年9月にも、来日。「八ヶ岳高原音楽祭」で、『秋のうた』をクラリネットで演奏。『秋のうた』の原曲はバッハ。編曲が武満
徹だったのですが。このことは、『武満 徹を語る15の証言』に出ている話なのですが。

「もし、彼と出会っていなかったなら私の人生は何の意味もないものになっていたでしょう。」

ストルツマンは、そのように語っています。ここに「彼」とあるのが武満 徹であるのは言うまでもないでしょう。2006年6月17日インタヴュウで。
1975年に、ストルツマンが武満 徹作曲の『カトレーン』を演奏したのは、よく識られているところでしょうが。この時の武満
徹はストルツマンに、音なき音を求めたとも伝えられています。

クラリネットを描いた画家に、ブラックがいます。あのフランスの画家、ジョルジュ・ブラックが。
1913年に『クラリネット』と題する絵を完成それはキャンバスに油彩。一部、パピエ・コレの手法が用いられているのですが。パピエ・コレはごく簡単に言って、貼り絵のこと。
ブラックに会ったフランスの詩人に、サン=ジョン・ペルスがいます。1958年8月11日のこと。1960年にペルスが「ノーベル文学賞」を得る少し前のことでしょうか。
ジョルジュ・ブラックとサン=ジョン・ペルスはたがいに意気投合したみたいで。長時間話込んでいます。年齢は五つほどブラックのほうが年長だったのですが。
1962年にブラックは、『鳥、連作』の絵を描いて。この時、ペルスに詩を添えるよう、依頼しています。そこでペルスが書いた詩が、『鳥』なのですね。

サン=ジョン・ペルスの代表詩に、『風』があるのは、ご存じでしょう。長篇詩。この中に。

「緋色の節織絹布のリボン、指先で重さを計る長い襞をもつ袖なしのマント。」

そんな一節が出てきます。
ここでの「節織絹布のリボン」は、「グログラン」grosgrain のことかと思われます。
横畝の美しい厚い絹地。よく帽子のハットバンドに用いられるのも、グログランなのですね。
どなたかグログランの上着を仕立てて頂けませんでしょうか。

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